決算、記念日、指標発表など
日本の通貨当局は、2022年9月22日、そして10月21、24日と円安阻止の米ドル売り・円買い介入に出動した。これは、米ドル/円の水準で言うと、145~151円で行われたものだった(図表1参照)。物価高も広がり始める中で、1990年以来約32年ぶりに1米ドル=150円を超える歴史的な円安に対して「悪い円安」といった不満の強まりを受けた政策判断と見られた。
なぜ円安阻止介入のスタートが9月145円台になったのか。介入水準はともかく、介入のスタートが9月だったのは、実は10年以上前に行われたこれまでのところの「最後の円高阻止介入」でも同じだった。
2010年9月~2011年11月にかけて断続的に実施されたのが、これまでのところの「最後の円高阻止介入」だった。この介入などにより、1米ドル=100円を超えた円高、「超円高」も75円でようやく終わるところとなった(図表2参照)。
この時は円高阻止、そして2022年は円安阻止と方向は反対だったが、一連の介入のスタートが9月だったのは、やはり中間決算期末を意識したということではないか。
その上で、2022年の円安阻止介入のスタートに「9・22」が選ばれたのは、特別の意味があったかもしれない。9月22日は、為替相場の歴史上で最も有名な出来事の1つ、プラザ合意の記念日としても知られていた。
プラザ合意とは、1985年9月22日に、G5(先進5ヶ国の財務相・中央銀行総裁)がNYのプラザ・ホテルに隠密裏に集い、米ドルの実質的な切り下げで緊急合意した出来事だ。その後の約2年で1米ドル=250円程度から120円まで米ドルの価値がほぼ半分に暴落するという大相場が起こった。2022年9月、止まらない米ドル高・円安の中で、米ドル売り・円買い介入を決断した当局者達の脳裏には、「プラザ合意アニバーサリー」の縁起を担ぐといった思いもあったかもしれない。
そんなふうに始まった円安阻止介入だったが、最初は通貨当局も介入の実施を確認したものの、その後は「ノーコメント」に変わった。そうした中でも、何度か介入が行われたのではないかといった「隠密介入」の思惑が流れたものの、その後公表されたところによると、実際にはほぼ1ヶ月介入は実施されず、2度目の介入は10月21日、151円台だった。
結果的に、9、10月とも介入が行われたのが20日過ぎというタイミングだったのは、米国の経済指標発表の影響もあったのではないか。当時の米ドル高・円安は米インフレ対策を受けた大幅利上げの影響が大きかった。このため、米金融政策に影響するインフレ指標や景気指標に対して為替相場は過敏に反応する傾向が強かった。
そういった中では、介入効果もすぐに消滅しかねない懸念があった。当時、為替相場が大きく反応する雇用統計やCPI(消費者物価指数)などの景気・インフレ指標の多くは月半ばにかけて発表されるものが多かった。このため、そうした発表が一巡したタイミングで介入することから、結果として9、10月とも月下旬での介入になったのではないか。