◆タイトルに惹かれて買った新刊がある。「詩人のための量子力学」(L・レーダーマン、C・ヒル著)。米国の大学では理科系科目を文科系学生向けに平易に解説する講座を「詩人のための~」と呼ぶ風習があるという。なるほど理系のひとから見れば文系は詩人のように思えるのかもしれない。

◆昨今は「ポエム」という言葉が本来の意味とは違った文脈で語られている。例えば「夢」「勇気」「仲間」「絆」「寄り添う」など耳触りはいいが、何かを語っているようで何も語っていない言葉遣いが蔓延している。こうした状況を俗に「ポエム化」というそうだ。『ポエムに万歳!』の著者、小田嶋隆氏はこう語る。「J-POPやグラビアの言葉があいまいだったり、焦点を結ばなかったりしても、別に問題はない。私が問題視しているのは、政治家や役人の言葉、官公庁のプレスリリースなど、説明すべき責任のある文章がポエム化していることなのです。本来、情報を運ばなければいけないのに、気分を運んでいる。つまりポエムですよ」

◆「詩人のための量子力学」は「詩人」のために書かれていても内容はポエムとはほど遠い。なにしろ素粒子の発見でノーベル物理学賞を受けたレーダーマン博士が量子力学について解説したものだからである。テーマをひとことで言えば、「光の正体は粒子か波か」だ。

◆僕がマネックス入社2周年を記念して書いたレポートのタイトルが『光と波』。まさにこの物理学の問題を株式市場に応用した先達の業績を振り返るものだった。記念レポート『光と波』は3部作の力作。それなのに読者の評判は最悪だった。なぜ不評なのか?当時は分からなかったが今は分かる。これも、形態は違えど「ポエム」の一種になっていたからだ。小田嶋氏の言葉を借りれば「本来、情報を運ばなければいけないのに、気分を運んでいる」ところがあったからである。レポートの一部を引用しよう。

<株価はブラウン運動的なふるまいをすると考えることが妥当であり、それを数学的にモデル化すると株価はウィナー過程に従う、と表現できる。ウィナー過程に従うある変数をzとすると、微小時間⊿tの間のzの変化⊿zは ⊿z = ε(t)√⊿t と表せる。ここで、ε(t)は標準正規分布(平均 0、分散 1の正規分布)に従うランダム・サンプル(無作為標本)である>

読み返すと苦笑するしかない。苦笑するしかないが、反省材料として時々読み返すことを自分に課している。

◆このレポートの冒頭には、本当のポエムがついていた。「妖精が目に見えないからって、妖精がいないってことにはならないでしょう?」(ディズニー・アニメ「ティンカーベルと妖精の家」)。今、思うとちょっと皮肉な台詞である。

マネックス証券 チーフ・ストラテジスト 広木 隆