今回と大きく異なる円安を巡る事情

1990年4月にかけて、米ドル高・円安は160円まで続いた(図表1参照)。1988年の120円から約40円米ドルが上昇した相場だったが、この米ドル高・円安は米ドル「下がり過ぎ」の反動が主因だった。

【図表1】米ドル/円の推移 (1980年~)
出所:リフィニティブ社データをもとにマネックス証券が作成

それは、米ドル/円の5年MA(移動平均線)かい離率で見ると分かりやすいだろう。1988年にかけて120円まで下落した米ドル相場は、5年MAを実に4割以上も下回るものだった(図表2参照)。少なくとも1980年以降で見る限り、5年MAを4割以上も米ドルが下回ったのはこの時以外なかった。

【図表2】米ドル/円の5年MAかい離率 (1980年~)
出所:リフィニティブ社データをもとにマネックス証券が作成

この1988年にかけて120円まで米ドルが下落した相場の始まりは、有名な1985年プラザ合意だ。NYのプラザ・ホテルに当時の先進5ヶ国の財務相と中央銀行総裁が秘密裏に集まり、米ドルの実質的な切り下げで合意したことをきっかけに、1米ドル=250円程度からほんの2年程度で半値以下の120円まで米ドル大暴落が起こった。

ただプラザ合意が、当初より120円までの米ドル安誘導を目指したわけではなく、実際的には150円以下の米ドル安はプラザ合意の想定を超えた結果だった。このため、既に見てきたように5年MAを4割以上も下回る未曽有の米ドル「下がり過ぎ」が起こった。そして、そんな「下がり過ぎ」の反動で起こったのが、1990年4月160円までの米ドル高・円安だった。

プラザ合意の米ドル切り下げ合意の背景にあったのは、対外貿易不均衡問題であり、このため貿易赤字の米国の通貨である米ドルを下落させて、貿易黒字大国の日本の通貨である円には円高が求められた。このような背景においては、「下がり過ぎ」の反動とは言っても米ドル高・円安が進むにつれて、次第に対外不均衡是正への悪影響の懸念が再燃した。

ちなみに、1990年にかけて160円まで米ドルは上昇したが、それは過去5年の平均値である5年MAを僅かに上回ったに過ぎなかった。最近、米ドル高・円安が150円に迫る中で、5年MAを3割以上も上回ってきたことと比べると全く異なる状況であることがわかるだろう。

要するに、5年MAかい離率で見ると、足元の米ドル高・円安は「行き過ぎ」であり、これに対して1990年にかけての160円までの米ドル高・円安は、米ドル「下がり過ぎ」が是正されただけで、決して行き過ぎた米ドル高・円安ではなかった。

にもかかわらず、1990年に160円で米ドル高・円安が終わったのは、当時対外不均衡問題が世界経済の最重要課題だった中では円安に対する米国など諸外国の不満が強かったことを示しているだろう。足元の円安に対しては、物価高につながるなどから日本国内からの不満が強いことと事情が大きく異なっている点は重要だろう。

ところで、1990年と言えば、もう1つ日本のバブル崩壊が始まったタイミングとしても知られている。それが160円の円安にどう影響したかと言えば、バブル崩壊に伴う株安・円安ということではなく、むしろ逆に円安終了に影響した可能性があった。

バブル崩壊が起こった国では、外遊資産の国内への引き揚げ「レパトリエーション」に伴い通貨はむしろ上昇する可能性があった。ちなみに、2000年からのITバブル崩壊後は米ドル高に向かったが、これも同じような関係性で説明が可能だ。

以上のように見ると、1990年4月に米ドル高・円安が160円で終わったのは、対外不均衡是正の観点から過度な円安を容認しない当時の国際環境と、日本のバブル崩壊に伴うレパトリエーションの円買いが主な要因だった可能性がある。