前回はちょっとゆるい話を書きましたが、また創業の頃の仕事の話に戻したいと思います。創業して最初の1年の間に、大きな事故が2回ありました。ひとつは思い出①で書いた開業記者会見よりも前、ですから開業前、プレマーケティングとしてマネックスメールを始めた翌々週のこと、メールの宛先の一部をメールの本文に書いてしまうという問題を起こしました。もちろんすぐに公表して、謝り、抜本的対応策をすぐに採り、一部メディアにも書かれました。それからあの開業記者会見があり、そして更に2週間位経って、某社会系大手新聞社がそのことを記事化しました。しかも全国版の一面に載ることになりました。

私たちは強い反省と、恐怖にも似た強烈な不安を感じました。希望も、するっと逃げていきそうな気さえしました。そして私は記事が出る前日の夕方に、出井さんに電話で状況を説明し、謝りました。すると出井さんは、「松本さん、今のマネックスはどんなニュースであっても、目立った方がプラスが大きいよ」と仰いました。その時はその言葉を額面通りに受け止める余裕は私には一切なかったのですが、今となると噛みしめるほど意味合いが出てきます。出井さんは私たちに希望を捨てないように諭したのだと思います。

またそれから5ヶ月後のこと、三連休に入る直前、木曜日の引け前に、システムトラブルが起きました。文字通り三日三晩掛けてなんとか復旧を果たすのですが、その連休の中日に、私は確か軽井沢にいらっしゃった出井さんに連絡し、状況を説明し、出井さんが折角出資して下さったのにそのお金が紙くずになるかも知れませんと謝りました。すると出井さんは、「松本さんはいつ直ると思うの?」とだけ聞かれました。私は何とか日曜の夜には直ると思いますと本心で話しました。

果たして月曜からはシステムは稼働したのですが、どうしても引け間近になってくると反応時間が遅くなってくるという問題に悩まされました。エンジニアもビジネスサイドも引き続き日中も夜もこの問題に取り組んで、心身共に疲弊してきていた3日目頃、二つの包みがオフィスに届けられました。それぞれにのしが貼られ、「陣中見舞い 出井伸之」とだけ書いてありました。うぉー!皆の気持ちと体に力が入りました。包みの一つは錦糸町にいたシステムの委託先のチームにも早速届けられ、そこでも、うぉー!となりました。そしてその日、システムのパフォーマンス問題はキレイさっぱりと解決し、直ったのです。

出井さんは、過去のことをほとんど話しません。「なんでそうなったの?」と聞くことはなく、「これからどうするの?」と聞かれます。出井さんは必ずしも饒舌ではありません。しかし本当に心に響くことをされます。出井さんは、それらの意味で、武士の頭領みたいに格好いいです。私もそんな人間になれるように、心して生きていこうと思います。