「てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った」ーこれは安西冬衛の一行詩ですが、中学か高校生の時に読んだ時、あまり感傷を抱きませんでした。私は詩が好きで、詩を読むとその詩人の心の風景がなんか見える気がするのですが、なんかそういったものが伝わって来ませんでした。そして今この詩を読んでもやはり、音の響きはいいし、詩自体の風景は良く見える気がするのですが、詩人がどのような心でこの詩を詠んだのか、心の風景が見えません。何故だろう?
「ミサイルが一基ウクライナに飛んでいった」ー絶望なのか、何か希望を見いだすことが出来るのか。唖然としてしまうような状況の中で、しかし私たちは唖然としてはいけないのだと思います。同じ地球の問題として何をすべきか、目を逸らさないようにしないといけないですね。