今回ご紹介するのは、ゲーム開発エンジン「Unity」の歴史だ。3Dゲームが当たり前の存在となる中、Unityが極めて重要なプラットフォームであるのはもはや言うまでもない事実である。

同社によると、2020年時点でモバイルゲーム上位1,000件のうち実に71%がUnityを使って開発されていた。Unityを使って運営されるサービスの月間アクティブユーザー数は25億人にのぼる。

直近ではFacebookが「Meta Platforms」へと社名を変更するなど、「メタバース」実現の機運も高まっている。そのために必要なのが3Dコンテンツを開発する技術であり、Unityはその土台を提供する企業の一つだ。

CEOを務めるジョン・リッチティエッロ(John Riccitiello)はUnityが「メタバースを創造するための土台となるツールセット」であることに言及。新たな大波に乗ろうという姿勢を自ら示している。

今回の記事では、Unityという企業がどのように始まり、発展してきたかについて紐解く。

ゲーム開発エンジンが整っていない時代

今のUnityにつながるチームは、ゲームを作ろうとする小さなスタジオの一つだった。ゲーム開発に必要なツールが整っていない2000年代初頭、多くのスタジオと同様、自作のゲームエンジンをつくることから始める必要があった。

創業メンバーは初代CEOのデビッド・ヘルガソン(David Helgason)、同じくCTOのヨアキム・アンテ(Joachim Ante)、CCOニコラス・フランシス(Nicholas Francis)の三人。

やがて三人は、具体的にどんなゲームを開発するか決めることに難儀してしまった。アイデアはたくさんあったが、起業したときのゲーム作りに関する情熱が消えかけてしまったのだ。

2004年、チームはゲームを作るのではなく、ゲームエンジンを作ることへと事業の転換を決める。こうして2005年の夏、「Unity」のファーストバージョンが世に出たのである。

出所:strainer

当時「ゲームエンジンを開発する」というのは、スタートアップの注目テーマではなかった。過去に大きな失敗事例があり、賢い人は誰も見向きもしなかったのだ。だからこそ、他より早く資金調達しようなどと焦る必要もなかったとヘルガソンは振り返る。

「技術的に劣っていたため」CEOに就任

ヘルガソン自身もプログラマーだったが、他のメンバーと比べて技能的に劣っており、なおかつ社会性に長けていたためCEOを担当することになった。とは言っても、当初は請求書を払ったり、顧客サポートをしたりという「何でも屋」だったようだ。

やがて彼は、CEOとして投資家向けのプレゼンテーションも担当。こうして2009年、UnityはようやくシリーズAラウンドで550万ドルの資金を調達する。ラウンドを率いたのはセコイア・キャピタル。アップルやグーグルをはじめ、名だたる企業に出資してきた超名門のVCだ。

資金調達を機に、ヘルガソンは創業の地であるデンマークのコペンハーゲンから米国サンフランシスコへと移った。その一方で、開発チームはコペンハーゲンでも拡大。シアトルにも拠点があったという。

未熟なチームがグローバルな組織を構えることには課題が大きかったようだ。スタートアップ企業ではトップの方針が週ごとに変わるというのは珍しいことではないが、世界に分散した組織では十分なコミュニケーションが難しかった。

そもそもヘルガソンは、元はプログラマー。フォーブズ誌によると今の年齢は44歳なので、2009年当時は30代前半だ。五大陸にまたがった組織の運営など、初めからやりたいわけではなかった。

大手ゲーム企業の元トップがCEOに就任

ヘルガソンは「地獄のような」CEO生活を経て、2014年に退任。創業メンバーの一人、ニコラス・フランシスも「開発エンジンではなくゲームが作りたくなった」という理由で経営チームを去った。

トップを継いだのが、ゲーム開発大手エレクトロニック・アーツでCOO(1998〜2004年)、それからCEO(2007〜2013年)を務めた経験のあるジョン・リッチティエッロだ。冒頭でも触れたように、今も会長兼CEOとしてUnityを率いている。

リッチティエッロは2013年夏にヘルガソンと会い、出資してUnityのボードメンバーに加わった。CEOを交代してからも、ヘルガソンはボードメンバーに残り、毎週のように話していたという。

Unityにとって2010年代は、事業の前提が大きく変わった時代だ。高性能なスマートフォンが普及し、多くの一般消費者の手元で「3Dゲーム」を動かすことができるようになったのだ。仮想現実(VR)や拡張現実(AR)といった領域も現実味が増し、その機会は増す一方に思えた。

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2016年にはシリーズCラウンドで1.8億ドルを調達。評価額は15億ドルにのぼった。開発者の登録数は当時550万人と、競合のEpic Games(当時200万人)を大きく上回っていた。この頃、大流行していた「ポケモンGO」も、何を隠そうUnityのゲームエンジンによって開発されていた。

2017年にはPEファンドとして知られるシルバーレイクから4億ドルを調達。一部のお金は長く勤めている従業員からの株式買取にも費やされ、評価額は26億ドルにのぼった。2019年には、さらに60億ドルへと膨れ上がった。

2020年に上場、時価総額は一時500億ドル超え

非上場で10億ドルを超えれば「ユニコーン」とされる中、Unityの評価はかなり高いようにも感じられたが、上場後の推移をみると、それはむしろ控えめな水準だったようにすら思える。

2020年に株式を上場すると、取引初日に株価は31%以上も上昇。それから株価は軟調となったが2021年の中盤には再び高騰し、時価総額は一時およそ600億ドルにものぼった。足元はグロース銘柄全体の逆風とともに、324億ドルまで引き下がっている。

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上場にあたってUnityが示したのは、「ゲーム開発」「3Dコンテンツ開発」における圧倒的な存在感だ。月間のアクティブな開発者は150万人を数え、2019年の上位1,000モバイルゲームのうち53%がUnityによって作られていた。それが2020年には71%に増えたというのは、まさに驚異的と言うほかない。

CEOを務めるジョン・リッチティエッロは、上場時のインタビューで自社のポジショニングについて語っている。『フォートナイト』運営元のEpic GamesがAppleを敵視する一方、UnityにとってはAppleは「パートナー」でしかないと言うのだ。

確かに、Unityは自らゲームを開発するわけではないため、いくら収益を上げようとアプリストア向けの手数料を取られることはない。彼らにとって、アプリエコシステムを構築した二社はむしろ、市場を作り上げてくれた味方でしかないのだ。

リッチティエッロは、Epic Gamesの「Unreal Engine」で作られたモバイルゲームが全体の1%未満を占めるに過ぎないと指摘した。一方でUnityは半分以上(繰り返しになるが、2020年は71%)。加えて、建築や工学、自動車、製造業といった領域のシミュレーションにも活用される。ゲームに限らず、そのポテンシャルは非常に大きいと主張した。