2019年は「老後資金2000万円問題」という言葉がいろいろなところで使われました。この言葉のきっかけは2019年6月に発表された金融審議会市場ワーキング・グループの報告書でした。私もその委員を務めていますので、この報告書が正確に理解されずに2000万円という数字だけが一人歩きしたことは残念ですが、その結果、いろいろなことが分かってきました。特に「この言葉が誤解されているのではないか」という懸念が3つ出てきたことです。これは自分自身の退職後の生活資金を考えるうえで大切なポイントを教えてくれますので、一緒に考えていきましょう。

誤解1:みんな一律に2000万円不足するわけではない

「そんなこと、わかっています」といわれそうですが、多くのメディアが「2000万円」という数字を使い、その数字が資産形成セミナーのタイトルになるなど、「退職後の生活には2000万円が必要だ」と刷り込まれてしまいました。でも退職後に必要な資金はみんな一律ではありません。わかりきったことですが、2000万円という数字の一人歩きは危険なことなのです。

退職後の生活費を推計する方法

積み上げ方式での算出

退職後の必要資金をどう推計すればいいのでしょうか。ファイナンシャル・プランナーの方がよくアドバイスされるのは、「生活費にいくら」「年2回の旅行費用はいくら」といった積み上げ方式です。しかし20年、30年先のことは今から金額にしてもピンときません。20年先には、その推計の根拠そのものが変わっているかもしれませんからね。

目標代替率:退職後、現役時代の何割の生活費で生活するか

そこでお勧めしているのが、世界的に使われている「目標代替率(Target replacement rate)」を用いた計算方法です。「退職後は、現役世代の何割くらいの生活費で生活するか」を考えてください。その生活費をもとに税金など考慮すると年間でどれだけの資金があればいいかわかります。その金額と退職直前の年収を比較したものが目標代替率です。

人は退職したからといって簡単に生活水準を下げることはできませんから、退職後の生活も現役時代の生活に規定されるものです。しかもその水準は年齢を重ねてもなかなか下がりません。食事を含めた活動費そのものは減っていくかもしれませんが、その代わりに医療費や介護費用などが嵩むからです。

米国では、この「目標代替率」は70-85%が多いと分析されています。日本では、フィデリティ退職・投資教育研究所によると、分析に用いた統計にもよりますが68%とか72%といった水準でした。ざっくり7割程度と見積もればいいでしょう。

誤解2:「老後資金2000万円」は、「2000万円の赤字」という意味ではない

「老後資金2000万円問題」に関する報道では、「毎月の赤字額は約5万円」「赤字額は自身が保有する金融資産で補填する」といった表現が使われていました。しかし、「公的年金の支給月額の平均値」と「退職後の生活の支出額の平均」の差額である「5万円強」は、実のところ「赤字」ではありません。

退職後の生活費=退職後年収=年金収入+勤労収入+資産収入

退職後の生活費は3つの収入で賄われます。公的年金などの「年金収入」、働いて得る「勤労収入」、そして現役時代に積み上げてきた「退職後の生活のための資産」からの引き出し、すなわち「資産収入」です。この3つを合わせて退職後年収と呼びますが、こうして分析すると、前述の「赤字」という言葉は、実は赤字ではなく「資産収入」でカバーされる金額ということがわかります。しかしその資産は、もともと現役時代から退職後の生活のために積み上げてきたものですから、「赤字補填」ではなく、“使うべきお金”なのです。

誤解3:退職時点までに2000万円を用意する必要はない

老後資金2000万円を資産収入で賄うものだとしても、多くの人がそれを退職までに用意しなければならないと思いがちです。また、「資産収入」と聞くと、「資産運用で儲けた利益」と考える人も多いでしょう。でも、資産収入をしっかり理解すると、現役時代に何をすれば良いのかがわかってきます。

まずは、資産収入はどこから得られるのかを、次の式で説明します。

資産収入を生み出す「資産」 = 元本 + 収益(現役時代の運用収益+退職後の運用収益)

「資産収入」とは、「資産運用で儲けた利益」だけではなく、資産運用の元本の取り崩し部分も含めて考えるべきものです。つまり、現金や預金を取り崩して生活費に充てることも「資産収入」ですし、株式の配当や値上がり益、投資信託の分配金や値上がり益も「資産収入」の対象になります。また、収益の部分をよく見ると、現役時代に積み上げた資金を運用して得た利益だけではなく、退職後に運用を続ける際に得られる収益も見込むことができます。

ここでわかることは2つです。資産形成をするという時によく「運用」と結びつけてしまいがちですが、銀行預金で資産を作り上げても問題はないということです。資産形成は目的で、株式や投資信託、銀行預金などはそのための手段だと考えればいいのです。この点については、次回のコラムでもう少し詳しく解説しますね。

もう一つは、退職後の運用収益を見込んでいることから、資産収入すべてを現役時代に用意しなくてもいいということです。元本と現役時代の運用収益の合計が退職までに用意する対象で、退職後の運用収益は60歳以降の運用がもたらすものなのです。ちなみに、私がいつも計算している方法(3%運用で4%引き出し)を想定した退職後のお金との向き合い方では、現役時代の資産形成の目標は必要資金の7割で良いことがわかっています(弊著「老後の資産形成を絶対に始めると思える本」(扶桑社)を参照)。2000万円の必要資金であれば、60歳までに1400万円を用意すればいいと計算できます。

次回は「資産形成と資産運用の違い」、「資産形成をしないリスク」などを考えます。