松下幸之助氏の「あんたを信用する」で始まった香港の総代理店

香港大学准教授の中野嘉子氏と王向華氏の共著『同じ釜の飯』(平凡社刊)というノンフィクション本がある。香港の有力電化製品卸商「信興グループ」初代会長蒙民偉氏の立志伝だ。同氏はパナソニック(当時は松下電器)の総代理店として、人口680万都市(当時)香港で800万台の電気炊飯器を売り、香港の家庭に「電気炊飯器」というものを普及させた「香港サクセスストーリー」の立役者である。

香港人気質の根幹に触れるところが随所に顕れ、歴史に翻弄されながらもしっかりと香港経済界に根付き、「稼いだ金」は香港大学にとどまらず、欧米の大学にも寄付をして社会還元している。この本は、香港在住の筆者にはあまりに面白く一気に読んでしまった。

一番驚いたのが、蒙氏がまだ27歳であった1954年の時、松下電器社長の松下幸之助氏と交わした言葉である。

蒙氏が「松下電器の総代理店になりたい」と幸之助氏に懇願した際に、

松下幸之助氏「わかった。もう契約なんていらない。蒙さん。ワシはあんたを信用する。あんたワシを信用するか?」
蒙氏「当然信用しております。また、信用させてもらう」

それ以来、信興グループと松下電器の間には、総代理店契約という文書は未だなく、世界の総代理店で信興だけが契約書のない代理店だそうだ。

最近の日本からのニュースで感じる「信用」を阻害するもの

「信用」という言葉で、もう1人の方の話を思い出した。

香港の大平山にあるL氏の瀟洒なアパートに呼ばれ、旧正月を3カップルで祝った時の話だ。ワインのボトルが何本も空になった頃、L氏が遠くを見るようにして昔話を始めた。

彼は香港人ではなくシンガポール人なのだが、若い頃、東南アジアの砂糖王(Sugar King)と言われたK氏のもとで砂糖のトレーダーとして活躍していたのだ。当時はアジア諸国の砂糖輸入業者との砂糖の先物取引をしていたのだが、その取引先とは、全て口頭で、文書もなく取引価格を決めて3ヶ月後に取引実行をしていたそうだ。

文書なんていらない。お互いを信用して商いを行う。

「信用」という言葉が彼の口から洩れたのだ。彼曰く、アジア諸国と取引をしたが2つの国だけが文書を交わして取引した。その国の名前はあえて言わないが、いずれも外国政府に内政を蹂躙され、第3者に対して常に疑心暗鬼になったのだろうと述べた。侵略を受けた国は、「信用」という言葉を「文書」で確かなものにしたかったのである。


14歳の蒙少年は、1941年日本軍の香港占領下に命からがらに香港から上海に逃げ、その13年後に日本の事業家松下幸之助に出会った。その際に意気投合して、文書なき合意をし、その後関係を60年以上続けている。

「信用」とは「人と人」の関係が紡ぎだすものだと改めて感じると共に、それを阻害するのは「国と国」の関係のような気がする。最近の日本からのニュースを読んでいると感じるものがある。