タクシン派か軍政か

タイでは、政治的に主張の異なる2派が、長年にわたって激しく対立を続けてきました。東北部や北部の住民、バンコクの中低所得者層の支持を集めるタクシン派と、富裕層や南部の住民、バンコクの中間層を中心に支持を集める反タクシン派の2派です。

タクシン派は、既得権益や階級・民族秩序を批判する形で勢力を拡大してきました。人口が多い農村部や都市部を基盤としてきたため、支持する有権者数でも優位を保ち、2001年・2005年・2007年・2011年といずれも総選挙で勝って政権を奪取してきました。

一方、反タクシン派は、2006年の軍事クーデター、2007年の司法判断によるタクシン派政党の解党、2014年には2度目の軍事クーデターによる軍政発足と、軍や司法の力を借りながらタクシン派政権を倒し、政権の座についてきました。

そのタイで、約8年ぶりに、議会下院で総選挙が実施されることになりました。投票日は3月24日で定数500議席(小選挙区350・比例代表150)を巡って、過去最多の81党・立候補者13,921人が議席を争います(2014年2月の選挙は実施されたものの、タイ憲法裁判所により無効判決を受けたため、本稿では選挙としてカウントしていません)。

軍政が新憲法を施行

現在の軍政は、2014年の民主党支持者による大規模反政府デモを契機とする軍事クーデターでインラック政権を崩壊させて以降、政権を担ってきました。軍政から民政への移管を建前とする今回の総選挙でも、軍はパランプラチャーラット党政党を創設して、既成政党から人材もスカウトし、選挙に打って出てきました。引き続き政権に留まろうという腹積もりのようです。

軍政の間に、現政権は2017年に新憲法を施行し、首相指名選挙の投票権を下院議員だけではなく、上院議員にも与えるように改訂しました。上院議員(定数250) の選任権は、事実上、軍政府が持っています。そのため、軍政側は、下院で130議席を確保すれば380/750となり、両院での投票で多数を制し、首相を指名して政権を維持することが可能となります。

しかし、軍政による統治は、故プミポン前国王の崩御もあって長期にわたっており、これに対する世論の批判もあります。軍政を批判する政党勢力としては、今回の選挙で下院での過半数を上回って議席を獲得し、民意を反映した政権樹立を世論に訴えて、首相指名選挙で軍側に圧力を掛けていくことを狙っています。

国王が王女擁立に反対

タイでは、選挙に参加する政党は、首相候補を届け出る必要があります。2月8日に、タクシン元首相派政党の1つ「タイ国家維持党」(タイラクサーチャート党)は、故プミポン前国王の長女であるウボンラット王女(67)を、党の首相候補の1人として届け出ました。ウボンラット王女は、ワチラロンコン国王(66・写真)の姉でもあります。

このニュースは、タイの国民や政界に驚きを与えました。王女を擁立することは、王室を敬う国民性を考えれば、その政党に有利に働くと予想されるからです。一方で、上記のような激しい対立が続く政治の世界に、王室が関わりを持つことを懸念する声も出て、タイの政界は一時、大騒ぎとなりました。

現国王は、王室は政治的な存在であってはならず、王室の1人である王女の政治関与を認めないとして、同王女の政治関与に反対する声明を発表し、いち早く事態の収拾に動きました。選挙委員会も、国王の声明に従い、この届出を認めない決定を下しました。結局、タイ国家維持党は首相候補名簿を取り下げ、この問題は早期決着が図られました。

しかし、首相候補名簿の取り下げで、そのまますんなりといかないのもタイの政情です。2月13日には、選挙管理委員会が、国家維持党が立憲君主制に敵対的な行為をしたとして、タイ国家維持党の解党を憲法裁判所に申し立てました。

選挙のカギを握るのは第三勢力

タクシン派は、選挙対策のために国家維持党を立ち上げた経緯があります。タクシン派は2007年にタイ愛国党、2008年に国民の力党がそれぞれ選挙違反を理由に解党処分を受けていますが、総選挙前に解党命令が出た場合、タクシン派にとっては、大きな打撃となるでしょう。

今回の選挙も、タクシン派対反タクシン派という構図は変わっていませんが、政党支持率から見ると、どちらの勢力も選挙で多数を握ることは微妙な情勢です。そうなると、カギを握るのは第三勢力の動きと見られています。

第三党となるのは民主党と予想されていますが、党首はアピシット元首相です。アピシット氏は、軍政に批判的な有力政治家の1人ですが、民主党はタクシン派政党と長年しのぎを削って対立してきた関係にあります。軍政に擦り寄るのか、タクシン派に接近するのか、過去の経緯を考えると、どちらとも手を組むことは難しいと言わざるを得ません。

選挙の結果を受けて、多数派工作が行われる可能性は高いですが、主張の異なる政党同士が連立する政権となるでしょう。連立政権となった場合、選挙後もタイの政情は不安定な状況が続くと予想されます。民意は、タイの更なる発展のために、政治・社会の混乱が収束に向かうことを願っていますが、当面は、政局は安定せず、流動的な状況が続くのではないでしょうか。