投資に先立ち現地調査をする業務、「オンサイトDD」。クラウドクレジット商品部によるMoney Adventure to Frontier。

いざ、パキスタン・イスラム共和国へ

「来月、オンサイトDDでカラチに行って欲しいのですが、スケジュールは大丈夫ですか?なるべく早いタイミングで…」

筆者は、オンサイトDDという投資に先立ち現地調査をする業務を担当している。夏の終わりに中央アジアでソーシングを終えて間もないタイミングであったので、思わず「え、またですか?」と聞き返してしまったが、ここから新たなフロンティアに向けた出張が始まることとなった。

カラチとは、パキスタン・イスラム共和国の南部、インダス川河口に位置するパキスタン最大の都市である。

学生だった頃、その名を冠したエスニック料理店に通っていた時期があったため、インドかその周辺の都市名だということは、ぼんやりと頭の片隅にあったものの、いきなり世界地図を目の前に出されれば正しい位置を指差すことはできない程の認識であった。

また、パキスタンについては、以前勤めていた運用会社で、4つの新興国の株式に投資する投信のエクスポージャーに含まれていたため、投資対象とすること自体は初めてではなかった。

しかし、2008年の金融危機当時、現地証券取引所における極端な流動性の低下から適切な価格算出ができなくなった。その結果、当該投信について購入・解約を数ヶ月停止したことで、オペレーションが相当苦戦したという曰く付きのものであった。

そのため、個人的にはパキスタンは一般的な新興国に期待されるような人口増加に伴う長期の経済成長シナリオはあるものの、そうしたポジティブな面と対極にある脆弱性をも内包していた国の1つとの認識があった。

パキスタンルピーの対外債務での積み上がりは顕著

当時からもう10年近くにもなるので、気になってパキスタンのその後のマクロ情報をいくつか見ていたのだが、確かに対外債務の積み上がりは顕著である。

パキスタンの直近10年間における政府債務総額の推移(単位:10億PKR)
出所:パキスタン国立銀行発表データを基にクラウドクレジットにて作成

なお、Bloombergでパキスタンの国債市場データを見てみると、グローバルな機関投資家が保有する割合は2018年に8%近くで推移しており、同様の切り口で見た場合のインドより数%高い程度であった。

新興国債券市場の代表例に挙がりやすいブラジルで同様に見てみると、上記のような外資系プレイヤーのシェアは20%を上回るものであった。こうした市場参加者の属性の差異は、当社の現在の主な事業対象である民間のクレジットセクターに直ちに影響するものではない。しかしながら、主要市場のリスク許容度の変動に応じた資金の流出入の激しさ、そして現地通貨の対ドルレート等には大きく影響するものである。

新興国債券投資の分野では、インド市場の堅牢さの根拠として海外機関投資家のプレゼンスの低さはよく取り上げられる。だが、パキスタンについても主要な新興国ソブリン債指数の構成国には含まれているものの、グローバル市場における存在感は相対的に低いようである。

為替については、これまでのパキスタンルピー(PKR)の対ドルでの推移を見てみると、2017年後半から急速な輸入増加による貿易収支の赤字拡大によって、外貨準備高の維持が困難になったことや、IMFからは貨幣価値が実態と乖離していると指導されたことを背景にPKRは階段状に下落してきた。

足元のレートは2017年に指摘された20%程の割高感は織り込まれたようにも見えるが、今後の貿易赤字の規模次第では更にルピー安が進む可能性も十分あるであろう。

米ドル/パキスタンルピーの推移(過去10年分)
出所:筆者作成

こうした前置きはともかく、慌しくビザを取得したその日に、社内の投資委員会で検討を進める承認が取れたことで、残るミッションは此方の最終的な現地実査、いわゆるオンサイトデューディリジェンスのみとなってしまった。

異国での不条理、硬直的な行政、そして訪問企業CEOの気概に触れる

Day 01

空調がそこまで効いていないジンナー国際空港(州都カラチにある国際空港)に降り立ち、入国審査の列に並ぶと、比較的アジア人が多いことに気付く。ただし、そのほとんどが専用のレーンに吸い込まれていく。赤い国旗と書かれている表記から、どうやら中国からの入国者については、この段階で既に特別な対応となっているようだ。中国・パキスタン経済回廊(CPEC)を推し進める「一帯一路」構想の威力を思い知った次第であった。

空港はwi-fiもなく、現地SIMカードも入手できなそうだったので、チャータータクシーでの移動となったが、夕方の帰宅時間帯と重なったこともあり、交通渋滞に巻き込まれていった。

途中、接触事故でドライバー同士が言い争いしている場面を通り過ぎた一方、シャルワール・カミーズという白い服で凛と背筋を伸ばし、15センチはあろう山羊髭を生やしたバイカーが車間を縫いながら悠然と帰路に就く光景を見た。その姿には、無事労働を終え、そしてまた明日もその日が続くと確信めいた意思があるように思え、何か頼もしい気持ちになれるものであった。

市内に近づいたところ、検問に差し掛かったが、ドライバーが気を利かせてくれて、警察に中国からの人間だ、と説明するとあっという間に通してくれた。これもやはり一帯一路効果としか言いようがない。

単に往訪先企業に近いという理由だけで選んだ安宿には何も期待していなかった。穴の開いたバスタオルを取り換えてもらったところ、また別の穴の開いたバスタオルが届けられた。道中の疲れと翌日からのタスクへの備えから外出する気力もなく、供されたスナック菓子で腹を満たすと、耳栓を挿して古めかしいベッドに横臥した。

Day 02

翌日は、カラチのシェアオフィスで各部署責任者へのインタビューから始まる。今回の対象企業はマイクロファイナンスのような金融機関ではなく、主要事業として屋根置き型の太陽光パネルと関連電化製品のリースまたは割賦販売を行っている。そのため、金融業としてのトピックというよりは、実際の集客から顧客管理、事業計画の妥当性・整合性に重きを置いたヒアリングとなった。

マーケティング部門の責任者は女性で、前職は製薬会社の広報だった。当初は広告代理店を活用していたが、自社で企画から実施まで回す方が効果があり、費用も低減できるので現在はそのようにしているとのことであった。この仕事に相当のやりがいと手応えを感じているらしく、過去のプロモーション施策や契約件数の状況について説明を受けた。

CEOによれば、まだスタートアップであるため、各分野で経験豊富な人材を雇うより、モチベーションを重視して能力を少しだけ上回る目標設定を行い、短いサイクルでPDCAを回しながら会社と一緒に成長するという方針であったが、そうした試みは機能しているようであった。

プロダクト部門の責任者からは物流の大まかな流れ、修理センターとカバー地域の状況、足元の返品率等について説明を受けた。主要ターゲット層の生活様式がまだ電化の初期段階ということ、供給する電力が太陽光によるものという観点から、当面は照明器具や扇風機といったミニマムな商品ラインナップを維持しながら、構成資材の改善を進めていくとのことで一定の妥当性があるものであった。

また、冷蔵庫については残念ながらまだ構想段階とのことであったが、これだけ暑い国であればそれなりに需要はあるだろうし、食料品の保存性が高まることで相当な生活水準の改善に繋がるのではないかと思われた。

羊の脂が染み込んだ重めのランチを挟み、午後は修理センターを訪問する。修理センターといっても商品在庫が積み上げられた倉庫を兼ねた石造りの簡素な建物である。

一端にケースが半開きとなった発電ユニットが10個以上山積みになっていたので何か尋ねてみると、どうやら契約先で多少電気回路に知識のあるユーザーが無理やりこじ開けて直結し、不正利用しようとしたものらしい。そうした試みはケースを開けた時点から3G通信で信号が上がってしまうので止めるよう契約時に説明しているにも関わらず、一定数のこのような事例は出てしまうらしい。

修理センターで商品の回路チェックをしている男性

移動中、先方のCEOから彼らの事業について、銀行口座を持っていないユーザーでも機器を通じて利用契約が結べるので、ある意味ではマイクロファイナンスと同等か、それ以上に広い範囲でBOP層へ適切にアプローチできていることを確信していると説明を受けた。一方で地元金融機関には未だこのような事業への理解が無く、融資はどこでも門前払い同然であったという。

また、いくつかの欧米系の政府系支援基金のプログラムに応募しており、2018年末には何らかの成果が見えてくるとのことであった(実際、2018年12月に欧州の政府系基金から支援プログラムの適用が承認された)。

面談を終えた後、市内を少し見ておこうとオフィスからホテルまで歩いて戻ろうとしたが、歩道がまともに整備されておらず、陥没箇所だらけであった。また、横断歩道を渡ろうとするも、そうしたものも殆どなく、安全そうな場所を探しているうちに、地図上での距離の数倍はある回り道となってしまった。

途中、工事現場の脇には茶色い大きな牛が2頭繋がれており、草を食んでいたが、その脇には生活ごみらしきものが山積みとなっており、牧歌的というよりは牛が果たしてああいったゴミの中から草だけを選り分けて食べられるのか、そもそも飼育する場所としてあの穴だらけの路上が適切なのかなど、余計な不安しか感じられなかった。

Day 03

翌日はいよいよフィールドビジットとなった。カラチ市内から車で2時間ほど走った郊外でその日に「市」が立つらしく、そこにプロモーションブースを出店するとのことであった。

市場と言ってもサッカーコートくらいの更地に周辺の農業や牧畜業を営む住民が集まり、家畜や野菜を売り買いするものらしい。ここで金銭を得た人々に太陽光パネルの利便性や割賦またはレンタルの支払い方法を説明するためにブースを設けて要員を配置している。

また、既存顧客については収穫期である程度、当座資金に余裕がある場合は、早めにクレジットを積んでおくことで将来へ備えることも啓蒙しているとのことであった。

市場で太陽光パネルについて説明するブースに多くの人が集まる

今回の出張は、現地事業の実態を確認するとともにファンド組成時のマーケティング資料を収集してくることも含まれている。土埃の中、周囲を行き交う山羊やロバを積んだトラックや商品であろう家畜たちを避けながら何とか撮影を試みるが、人通りが多くなかなか望むような画像が撮れない。

人々の合間から撮ろうと前後していると突然、シャツの裾を軽く引っ張られた。振り返ると5歳位の痩せた女の子がこちらに何か呼びかけていた。驚いたのはその子が抱えている乳児が明らかに栄養失調か何かの病気で死にかけていると表現して差し支えない状態であったことだ。

まさか家畜市場で買い物することはないだろうと財布の入ったバッグをドライバーの待つ車に置いてきてしまった。急いで取りに行き、戻ってみたものの、女の子は既にどこかに消えていた。

何か腹の底に冷えた石でも飲み込まされたような感覚を覚えながら、次の場所へ移動しようとすると、同行していたCEOも先ほどの女の子について尋ねてきた。元々、国連系のNGOで勤務経験があるため、ある程度こうした出来事は慣れていたようではあったが、やはり特に乳児の痩せ具合が気になっていたようだ。

車内の会話がほとんど絶えたまま、土埃の中を進んだ先は農家であった。少し離れたところには電柱、更に遠くには送電用の鉄塔も見える。一応、電化地域ではないのだろうか。

出迎えてくれた40代半ばの男性は家の脇にある数100平方メートルほどの農地で生計を立てているとのことであった。丁度、学校が終わった時間らしく、子どもたちが物珍しそうに集まってきたのだが、14~5人いた子どもたちは近所から遊びに来ていた1人を除くと全員この家の子らしい。

イスラム教が国教とはいえ、恐る恐る妻は何人いるのかと尋ねると1人のみ、とのこと。恐らくは結婚してから今日に至るまでほぼ毎年のように子どもを産んでいないと、このような大家族にはなれないだろう。太陽光パネルを導入したお陰で夜でも子どもたちが勉強できるようになった、と嬉しそうに答えていたが、一番上の子が家計を支えるようになるまであと何年かかるのだろうか。

訪れた農家の子どもたち

牛の糞が点在する細い農道を車まで戻りながら、さっきの農家は電線を引けば電力供給は受けられるのでは、と顧客管理担当者に尋ねてみた。すると、この国では国際的な援助でインフラの大枠が作られてもラストワンマイルのところで何か問題が起きるのが大半とのことであった。

先ほどの電柱にしても、こうした零細の農家は電気代の支払い能力がないとみなされていることから、電力会社のスタッフにそれなりの賄賂でも払わないと電線の引き込みをしてもらえないらしい。市内で目についた大量のゴミの不法投棄にしても、結局は異なる行政管轄同士の責任と費用負担の押し付け合いが続いており、前の政権時代から長らく放置されてきた社会問題の典型例とのことであった。

行政レベルでも、先ほどの家庭レベルでも、この国は計画性という視座が欠落しているのでは?とオーストラリア人であるCEOに尋ねてみると、行政の問題は兎も角、郊外の農村家庭で子どもがあれだけ多くいるのは、成人になるまでの死亡率が高いこの国ではある意味将来への保険なのだそうだ。

少し前に、「子どもを3人生んだのはリスク分散」といったネット上の意見が日本で議論となったのも記憶に新しいが、この国ではそうした「リスク分散」はさほど珍しくないことだった。

決してバランスが良いと思えない積み方のトラック

Day 04

帰国日は、先方スタッフの厚意で会員制の英国式カントリーハウスで、何時間か快適に事務作業をさせてもらえた。トイレですらドアを開けるだけの係、ペーパータオルを出すだけの係が別々に控えているような過剰なホスピタリティを受けた後、タクシーを拾いに外へ出た。すると、いきなり路上に落ちていた段ボールが動いたかと思ったら、下から幼い物乞いの子が現れるなど、この日も最後まで深いため息をつくばかりであった。

帰国後

今回、出張関連の記事を書ける貴重なチャンスをいただいたのに、社業のテーマでもある「これまでにない新興国での新たな投資」を促すような「中長期的に経済ファンダメンタルズの見通しが良好な新興国の投資機会に是非!」といった明るいトーンの記事というよりは、価値観の相違に唖然とし、落ち込む日本人の記録になってしまったのは否定できない。

しかし、パキスタン訪問は、数ヶ月経った今でも他の国への出張と違ったものとして自分の中に滞留しており、どこかで伝えたいという思いがあった。

異国での不条理や悲観的な側面ばかりにフォーカスしてしまったが、今回の訪問先企業は安価で壊れやすい商品の売りっ放しではなく、慎重に選定した壊れにくい商品を口コミベースで広めていく戦略が奏功し、その後順調に売上が伸びていると聞く。

また、滞在中に対応してくれた現地企業のCEOは行政システムが硬直的だったせいで、ビザの延長が認められず、未だ幼子が居るのに単身で一旦、国外へ出なければならなくなるなど、想定外の試練を強いられていた。しかし、多少予定外のことがあってもできる限りのことを適切に対処していこうという気概と問題対応能力があるように見えた。

オンサイトDDを担当した者としてのバイアスは当然入っているが、今回訪問した企業のようにマクロレベルの問題に事業活動として立ち向かっていこうという民間企業の活動は、なるべく継続して欲しいというのが率直な気持ちである。

パキスタンから遠く離れた日本の個人投資家のポートフォリオに1%でもこうしたエクスポージャーを加えてもらえると、資産運用という活動に経済的なリターン追求以外のインプリケーションも持っていただけることになるのではないか、と思う次第である。

 

 

執筆者:クラウドクレジット編集チーム

寄稿テーマ:Money Adventure to Frontier