1.日本の医療に関する問題
近年、社会保障費の増大が問題になっています。中でも医療費については現時点で年間40兆円を超えており、団塊の世代が全て75歳以上になる2025年には54兆円に上るという試算がなされています。その削減は急務であり、政府も対応に動き出しているほか、多くの有識者や経済団体等から、様々な問題点の指摘や提言がなされています。
医療については、コスト以外に「質」について再考する必要があるかもしれません。OECDによれば、「日本の医療は良好なパフォーマンスを上げている」「平均寿命の長さとともに、医療の質を示す指標の一部は、OECDの中で最高」とされており、「質」についての高い評価を受ける一方で、医療事故の報告件数は年々増加しています(図表 1医療事故の報告件数)。国立大学の附属病院で同一の医師による腹腔鏡手術を受けた8人の患者が、術後に相次いで亡くなられたのは記憶に新しいところです。
(注1)報告が義務付けられているのは、特定機能病院、国立ハンセン病療養所、(独法)国立病院機構が解説する病院、大学病院の本院、(独法)国立高度専門医療センターのみ。
(注2)2015年は、報告義務のある275施設のうち、243施設から計3,374件(うち死亡306件)の事故報告がなされた。
2.医療サービスと市場原理
通常のサービスであれば、市場原理の中でコストを下げようとする力や、質を向上させる力が働き、それができない提供者は淘汰されるでしょう。一方、医療は市場に委ねていては適切に提供されない、と言われています。理由はいくつかありますが、例えば通常のサービスであれば、売り手と買い手それぞれが、サービスの質や(相場)価格について、相応の情報を有しているケースが殆どでしょう。ところが医療の場合、患者が事前にどのような治療が必要か、あるいは提供される医療の質がどの程度なのかを知ったり、提供された医療サービスの内容、あるいはそれに要した費用が妥当か否かを判断したりすることは困難でしょう(情報の非対称性)。また、多くの場合、医療サービスを必要とする時期は予想ができません(需要の不確実性)し、医療サービスの提供が寡占状態になっている地域もあります(不完全な競争市場)。このような理由から、医療を完全に市場原理に委ねることはデメリットが多そうです。しかしそうであっても、サービスの受け手がサービスの質の程度について全く知らないとしたら、それは健全な状態と言えるでしょうか。
例えば、料理の質やサービスのレベルが低いにも関わらず、価格は相場並み、というレストランに行きたいでしょうか。医療は、多くの点で他の一般的なサービスと性質を異にするものなので、レストランと同様に考えることは適当ではないかもしれませんが、生命に影響を及ぼすような医療サービスであるからこそ、サービスの受け手としても、慎重に対応したいところです。
3.医療の質の評価
医療の質を評価する基準は、レストランを評価する際に用いられるような、個人の感覚や評判によるものでは問題があります。米国のドナベディアン博士は、医療の質を評価するための視点として、ストラクチャー(構造)、プロセス(過程)、アウトカム(結果)の3つを提唱しました(図表 2ドナベディアン博士による医療の質の評価)。アウトカムがもっとも重要な指標ではありますが、重症な患者を多く受け入れるとアウトカム指標が悪くなることがあるため、通常はアウトカム指標と同時にプロセス指標を重視します。
厚生労働省は2010年度から医療の質の評価・公表等推進事業を開始し、全国自治体病院協議会や全日本民主医療機関連合会等の病院団体が当該事業に取り組んでいます。本事業では、複数のプロセス指標やアウトカム指標を選定し、評価することが要求されており、これまでの取り組み等(注3)に比べると、より実践的なものと言えるでしょう。現時点では患者が公表結果を一瞥して、それぞれの病院の質を判断できるというものではありませんが、質の向上という役割は大いに果たしています。
4.高品質な日本式医療の国際展開に向けて
世界の医療市場は2001年から2010年までの間、年率9%近い成長率で推移しました。今後も継続的な成長が見込まれる中、近年は日本の政府や医療機器メーカー、商社等が連携し、日本式医療拠点を世界に設立する動きが進んでいます。政府の「改革2020」プロジェクトにおいても、「高品質な日本式医療サービス・技術の国際展開」の推進が謳われています。
海外の患者は、日本の医療の質に期待しているのであって、表面上の形式だけ日本式であれば良いというものではありません。日本式医療のさらなる海外展開やプレゼンスの向上のため、その高い質を担保し続ける必要があることからも、それを適切に評価し、継続的に向上させていくことは重要であると考えます。上述の評価制度のような形で質に対する裏付けを伴い、海外の人達からも信頼され、望まれる医療サービスが提供されることを願います。
(注3)わが国では日本医療機能評価機構が1997年から病院の質と安全の向上を図るため、病院を評価する活動を行っていますが、ストラクチャー指標に対する評価が主なものであり、最も重要なアウトカム指標に関する評価は必ずしも充分なものとは言えません。また、手術後に患者8人が亡くなった上述の病院は同機構によって一定の水準を満たしているとされた「認定病院」でした。
コラム執筆:近内 健/丸紅株式会社 丸紅経済研究所
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