第107回のコラム(注1)では、現状、政府の掛け声にも拘わらず予防医療を進めようという社会的気運があまり盛り上がっているように感じられないことから、その障害となっている可能性を4点挙げた(注2)。そのうち「予防医療は製薬企業の商売敵」については、治療薬を売りたいはずの大手製薬会社もむしろ予防医療に期待しているようだ、ということを光明として述べた。では、予防医療があまり進んでいないのは他の点に原因があるのだろうか?

1. 高額な予防薬の超長期連用が一般化すると医療費が膨張

歳をとっても頭だけは元気なままで、という希望は国民共通の願いだろう。では、画期的なアルツハイマー予防薬が開発されたとして、国民がこぞってその薬を30歳から74歳まで服用し始めたらどうなるだろうか?わが国の30歳~74歳の人口は約7,600万人(図表1)であるが、1錠50円で1日1回服用するアルツハイマー病の予防薬が開発でき、これらの人が全て服用した場合、年間1兆3,870億円の医療費が発生する。もし、この7割を公費で負担するとなれば、金額は9,710億円/年、45年間飲み続けたら単純合計で44兆円となってしまう。これでは、予防医療をしないでもらったほうが経済的だ、ということにならないだろうか。

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誰がいつ発症するかそもそも発症するかどうかわからず、発症するとしても30年後、といった疾病の予防薬の薬効を治験だけで実証するのは現実には不可能だろう。発症率の低い疾患に関して長期間の治験を行うのは、理論的証明の難しさに加えて、開発費用が莫大になりがちだからだ。仮に薬が開発できたとしても開発費用の高さが薬の値段に跳ね返る。高価な予防薬では「薬を飲み続けて予防するより、疾病が発症してからその患者だけを治療するほうが経済的」がますます当たり前となってしまう。これを打破するには第95回(注3)で述べたように、薬の開発期間と費用を大幅に削減し、薬の値段低減につなげることがやはり重要だと言えるだろう。ゲノム情報等のビッグデータ解析の活用が大いに期待されるところだ。

2. ICTとの融合でコストの安い予防医療を実現できる時代に

それでは、当面は予防医療には可能性がないのだろうか?要は、長期間にわたって疾患を予防に努めても、発症後の治療費より安くつけばよいわけで、そんな夢のような予防策があればよいことになる。実は、そうした極めて都合のよい予防策はある。しかも、既によく知られている。例えば、メタボリックシンドロームの診断に用いられる腹囲測定がそれである。ランニングコストがゼロであれば、繰返し「診断」してもコストがかさまないからだ。さすがに腹囲測定を予防医療と称するのには抵抗があるむきには、いま流行りのウェアラブル生体センサーを例に挙げたい。例えば、今月から店頭販売が開始されたApple Watchは「健康とフィットネス」の用途(注4)でも話題を集めている。こうした生体センサーが24時間記録し続けるデータと医療ビッグデータとを結びつければ、発症予測が可能になる世の中が近付いている。また、「予防薬」に相当するものとしては、「健康のために1日1万歩は歩きましょう」といった生活指導が挙げられるが、Apple Watchは、「毎週、あなたの最近の履歴にもとづき、1日当たりの消費アクティブカロリーを1日のムーブゴールとして提案することができ」るという。

3. 最大の鍵は国民の意識改革

医師が抗コレステロール薬を処方する代わりに、「まずは生活習慣を改めなさい」と指導を行う、という事例は果たして増えているのであろうか?こうした「経済的な予防医療」の普及では、予防医療に新規ビジネスを期待する製薬企業にとっては拍子抜けかもしれないが、医療費の削減効果は期待できるのだから、国を挙げて推進する価値がある。単に「痩せたい」、「長生きしたい」という個人願望のレベルとは別に、マクロ的な医療経済的な価値を評価する、意識のイノベーションを行う必要があると思われる。メタボの同僚に向かって「君が生活習慣病で長生きできなくなるのは君の勝手だが、そのせいで消費税が上がると困るから、生活習慣を改善したまえ」と、当然のように言える時代にならないといけないのかもしれない。

 

  • (注1 )http://lounge.monex.co.jp/advance/marubeni/2015/02/17.html
  • (注2 )「予防医療は製薬企業の商売敵」、「健保が適用されれば、濫用による健保破綻の懸念」、「予防薬は効能(有効性)を証明するのが難しく、開発が困難」、「疾病が発症してからその患者だけを治療するほうが経済的」の4つ。
  • (注3 )http://lounge.monex.co.jp/advance/marubeni/2014/09/02.html
  • (注4 )https://www.apple.com/jp/watch/health-and-fitness/
  • Apple Watchは、米国および他の国々で登録されたApple Inc.の商標。

コラム執筆:松原 弘行/丸紅株式会社 丸紅経済研究所

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