1956年、地球物理学者のM・キング・ハバート氏は、生産可能な石油の資源量には限りがあるため、米国の石油生産量は1970年代前半にはピークに達し、その後減少するという説を唱えました。いわゆるピークオイル論です。
米国の石油生産量はハバート氏の予測どおり1970年をピークに減少したため、ピークオイル論は注目を集めました。しかし、世界全体でみると、OPEC(石油輸出国機構)による生産調整の時期を除くと、石油の生産量は右肩上がりに増加しています。
しかも、あと何年生産できるかという目安である可採年数は、減少するどころか増加傾向にあります。これは、原油価格の上昇と技術の発達によって、生産可能な資源量が増加しているためです。
現状では石油生産量のピークが近いという見方は影を潜めています。しかし、この説は、資源の供給面の制約として、原油価格の上昇局面では度々登場する重要な論点です。
一方、最近では、別のピークオイル論が注目されつつあります。ハバート氏の説が供給のピークオイル論であったのに対し、こちらは需要のピークオイル論です。
2013年3月、米金融機関シティグループは顧客向けレポートの中で、2020年までに世界の石油需要が頭打ちになる可能性を示しました。また、英エコノミスト紙は2013年8月に、石油需要のピークは近いと論じて注目を集めました。
もっとも、これらの需要のピークオイル論は、2つの潜在的な可能性が実現した場合に初めて成立するという前提が存在します。それは、以下2点です。
①自動車や船舶など内燃機関(エンジン)の大幅な燃費向上
②石油から天然ガスへの需要シフトの大幅な進展
まず、内燃機関の燃費向上を考えてみましょう。
世界エネルギー機関(IEA)によると、世界の石油の最終需要のうち、3分の2が輸送用で、その4分の3が陸上輸送用の燃料です。つまり、石油の約半分は自動車を動かすために使われています。
そのため、自動車の燃費変化は石油需要に大きな影響を与えます。現在、世界の自動車メーカーは燃費の改善にしのぎを削っています。
車両重量の軽量化やエンジン小型化による内燃機関自体の燃費改善に加え、電気モーターを組み合わせて化石燃料の消費量を抑えたハイブリッド車やプラグイン・ハイブリッド車、さらには、電気自動車や燃料電池車といったゼロ・エミッション車(化石燃料を直接消費せず、温室効果ガスを出さない車両)の開発を進めています。
背景には、燃料価格の上昇に伴う低燃費車に対する消費者ニーズの増大と、各国で展開されている温室効果ガス削減に向けた燃費規制があります。
燃費規制については、日米欧それぞれが厳しい規制を設けています。そして、先進国だけでなく、新興国においても、程度の違いはあるものの、規制強化の傾向にあります。
世界最大の自動車販売市場である中国は、2020年に20km/Lという燃費規制の目標値を定めています。これは同年の日本の目標値とほぼ同じであり、2009年比でみると36%の改善です。
中国にとってはかなりアグレッシブな目標に見えますが、新興国では、一足飛びに新しいものを取り入れることが可能です。固定電話よりも先にインフラ整備が大幅に省略できる携帯電話の普及が進んだように、新興国における低燃費車の普及も、状況次第では、無理な話ではないかもしれません。
次に、石油から天然ガスへの需要シフトです。
米国では、シェールガスが石油に対して経済的に生産できるようになったことで、産業構造に変化が起こりつつあります。天然ガス価格の下落に伴い、発電燃料が石油や石炭から天然ガスへ、また、化学品原料も石油由来のナフサから天然ガス由来のエタンへと需要シフトが始まっています。
天然ガス車も増加しています。米国におけるシェールガス開発の成功は、世界の天然ガス資源量を格段に増加させました。
米国エネルギー庁(EIA)は、世界のシェールガスの技術的回収可能な資源量を、在来型天然ガスの可採埋蔵量の2.3倍と見積もっています。現状ではシェールガスが経済的に生産可能なのは米国だけですが、世界的にシェールガスの経済的な採掘が可能となれば、石油から天然ガスへのシフトが世界規模で起こる可能性は高そうです。
しかし、これら2つの潜在的な可能性が実現するためには、経済合理性と、世界的な温室効果ガス削減政策の徹底が必要です。すなわち、温室効果ガス削減などの政策や環境対策コストを含めて、原油価格が他の資源よりも割高である必要があります。
1つ目の内燃機関の燃費向上についてみると、いくら低燃費車に対するニーズが高くても、車両価格に対して節約可能な燃料費が魅力的でなければ、普及の障害になります。また、電気自動車や燃料電池車が普及するためには、車両コストに加えて、多大なコストをかけて技術やインフラ整備といったハードルをクリアしなくてはなりません。
EUでは将来的な目標として、ゼロ・エミッション車の導入なしではクリアできない厳しい基準を設けており、他の先進国も続く可能性が指摘されます。しかし、新興国ではどうでしょうか。中国の規制では、燃費目標を達成している車両購入者に補助金が支払われます。現状では罰則規定はなく、低燃費車の普及は補助金と原油価格次第の面は否めません。
二つ目の石油から天然ガスへのシフトは、割安な天然ガス価格が大前提です。先述どおり、米国以外でのシェールガス開発は現状経済性を持ち合わせていません。
今後、経済的に行われる可能性は皆無ではありませんが、米国ほど安価になる可能性は低いとの見方が一般的です。世界的に天然ガス価格が低下しないのであれば、原油価格の高止まりは、需要シフトの必須条件となります。
もっとも、この2つの潜在的な可能性の実現は、需給バランスと価格の関係から見ると矛盾をはらんでいます。石油需給の緩和は、原油価格の下落につながるためです。
石油需給が緩和しても価格が下落しないためには、生産調整が必要です。現状ではOPECがその役割を担っています。1986年、OPECの盟主であるサウジアラビアは、非OPECの生産量が増加し原油価格が低迷する中で、その調整役を放棄しました。
中東諸国の多くは国家財政や体制を維持するために、高い原油価格が必要です。その価格は、現状サウジアラビアで1バレルあたり80ドル程度とみられています。しかし、非OPECの生産量の増加に加えて、米国の中東依存が低下し地政学的リスクが高まる中で、OPECが原油価格の番人であり続けられるとは限りません。
英BPの統計によると、先進国の石油需要は2005年をピークに減少に転じています。世界需要のピークがいつかというのは、先進国の需要減少と、新興国の需要増加のペース次第と言えます。
現状の原油を取り巻く環境は、シェールガス革命による天然ガスの出現によって、経済合理性と、地球温暖化防止政策という、需要抑制に働く2つのドライバーが出現しています。この方向自体は、このまま変わらないかもしれません。
しかし、中国、インドをはじめとする新興国の成長に伴うモータリゼーションの流れは速く、不可逆的なものと思われます。新興国の石油需要増加の勢いを上述の2つのドライバーが押さえ込むためのハードルはかなり高く、石油需要のピークは2020年よりももっと先の話になるのではないでしょうか。
コラム執筆:村井 美恵/丸紅株式会社 丸紅経済研究所
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