大阪から新幹線で帰ってくる予定だったのですが、急遽代替手段を使うことになりました。朝、ホテルを出ようとする時に、メガネが見つからなくなってしまったのです。ベッドの下とか色々探したのですが見つからない。仕舞いにホテルの人まで部屋に来てもらって一緒に探してもらったのですが、変なものでそうしたらすぐに、私がベッドの下から見つけました。何度も見たのになぁ。

しかしこの騒動で、出掛けに急に30分も遅れることになり、そもそもきちきちのスケジュールだったので、このままでは東京でのミーティングに遅れることになってしまいました。時間の変更をお願いするか?そこでふと空路で帰れば新幹線より早く帰れる可能性があることを思い出し、新大阪ではなく伊丹に向かい、結果としては余裕でオフィスに無事戻ることが出来ました。やれやれ。

伊丹空港は、どうも私の場合、特別なシチュエーションになることが多いです。そもそも通常大阪に行く時は、私は新幹線を使います。前に伊丹を使ったのは、もう10年ほど前にアジアフォーカスの説明会を大阪で開いた時に、東京で新幹線に乗り遅れ、急遽飛行機で行ったら、予定よりも早く着いたのでした。その前は、いつ伊丹空港を使ったか、そもそも使ったことがあるのか、はっきりと記憶がないのですが、生まれて初めて乗った飛行機は羽田から伊丹行きであったことは覚えています。

未だ小学生の時でした、確か。その頃、ボーイング727がしょっちゅう墜落している印象があり(少なくともそう記憶しています)、727は乗りたくないなと思っていたら、「いや機体はDC8だ(確か)」と云う家長の発言もあり、安心していたのですが、乗る前に何か子供心にもイレギュラーな事態が発生した雰囲気を察し、実は機体の変更が行われたのですが、そうとは子供には知らされずに、初めての飛行機に乗り込んだのでした。

初めてなのでキョロキョロ見る。機体のあちこちを見ていたら、今でもその映像を鮮明に覚えているのですが、窓枠の下の部分のクリーム色のプラスチックに、分かりにくいのですが凸模様で、727と書いてあったのです。「この飛行機、ボーイング727じゃないの?」「いやDC8だ」と厳然と(或いは憮然と)答える家長。私はそのまま黙りました(確か)。そしていざ伊丹空港に着陸する時、とーーーーっても滑らかに、とても浅い角度で、即ち空港手前からかなり高度を低くして、ほとんどショックないように着陸したのです。家長曰く「うまい運転だ」。

しかしこれも映像を鮮明に覚えているのですが、空港の手前で、一般家屋(青い屋根でした)に当たりそうなくらい低く飛んだのです。暫くしてから、確か空港を離れてから、或いは後日に、エンジントラブルであったことを知らされました。マジかよ!ま、そんな思い出のある伊丹空港。今日はとてもお世話になりました。因みに私が知る限り、伊丹は富山と大分と並んで、日本で3つだけの、アルファベットで縦に書くと線対称の名前の空港です。どーでもいいですね。

大阪は空路の方が早いことが今日も証明されましたが、やはりいざと云う時のためのバックアッププランを残すためにも、これからも基本大阪へは新幹線で行きたいと思います。最後まで読んで下さってありがとうございました。