ダイバーシティ=多様性とは、中々興味深い概念です。最近、経産省の「経済産業ジャーナル(METI Journal)と云う媒体に取材されて、職場に於けるダイバーシティについて網羅的に考えを説明しました。私はそもそも小さい時から少々外れた人間で、問題児にも近かったのですが、周りにいた大人たち(先生や親も含めて)に、多様性を認めて守ってくれる人が何人かいたので、無事成長することが出来ました。

恐らくその辺りが起源なのだと思うのですが、私にとって多様性を認めることは当たり前のことであり、推進派だと思います。私は多様性はその系(社会だったりチームや会社だったり)の出力を上げる、もしくはリスクを下げると考えていますが、違う考え方もあります。昨日も何年かぶりにアクセスしてきた知人に、或る意味での反対意見を聞かされました。多様性はメリットを生む素なのか、それともコストなのか。少々議論しにくい微妙なテーマですが、私は多様性のメリットを考える時に忘れられない話があります。

かつて、確かUCLA(米カリフォルニア州立大学ロサンゼルス校)では、そのメディカルセンター(付属病院ですね)を造る時に、世界中の国々から様々な人種と背景を持った若くて優れたドクターたちを集めました。多様で優秀なドクターたちのフュージョン(混ざり合い)が、最高のメディカルセンターを造ると考えたのです。果たして、その計画は大成功し、(確か)UCLAのメディカルセンターは世界最高峰となりました。

やがて若くて優秀なドクター達は恋をし、多くのカップルが誕生し、子供たちも生まれました。年月が経ち、世界最高頭脳カップルから生まれた子供たちも育ち大人になり、またひとつ大きな野望が生まれました。この超優秀な遺伝子を持った子供たちをドクターとしてメディカルセンターを造れば、更に次元を超えた世界最高峰のメディカルセンターを造れるのではないかと。しかしそうはうまく行かないのです。何故ならばこの子たちは皆アメリカで生まれて育ったアメリカ人だから、彼らを集めても多様性のメリットは生まれないのです。

オチのために考えられた作り話かも知れませが、それでも良く出来ていて、私はこの話が好きです。メリット、コストの議論を超えて、多様性には希望があると、私は思っています。