或る手紙を読みました。それは戦時下に書かれた日本語の手紙なのですが、その英語への翻訳も一緒に読みました。両方を読み比べると、その趣旨に違いがあり、英語だけで読むと誤解されるだろうと思い、残念な気持ちになりました。意図的なものなのか、単純に翻訳の力が足りなかったのかは分かりません。しかしこう云うことは、古今東西、頻繁に起こってきたことでしょう。
最近のヨーロッパの政治家の公の場での発言を見ると、ほぼ全て自身で英語で喋っています。ビジネスマンその他も然り。テレビのインタビューなどでは、大体何(なに)人でも英語で喋っています。文学であれば格別、政治家でもビジネスマンでも活動家でも、自分の云いたいことの趣旨を誤解されないように、ちゃんと伝えるように、皆なるべく自分で英語で喋っているのでしょう。
そんなことは前から分かっていましたし、自分でもそうしてきましたが、その手紙と翻訳を読んで、自ら言葉を使って伝えることの重要さを思い知らされました。肝に銘じます。