東京では、ふと耳を澄ますと、虫の声が聞こえてくるようになりました。あ、いや、耳を澄ますから聞こえるのではなく、虫の声が聞こえてきて、耳を澄ますのです。一説によると、虫の声に耳を傾ける習慣というか文化があるのは、日本人とポリネシアン人だけだそうです。確かに鈴虫のような虫をカゴに入れてその鳴き声を愛でるなんてことは、欧米ではあまり聞いたことがありません。

何故だろう?古代においては、今の鈴虫を松虫と呼んでいたようで、この松虫は「待つ虫」で、人を待つ虫や女性に見立てて歌がよく詠まれたので、人々の意識の中に松虫(鈴虫)の声は情緒のあるものとして組み込まれたのかも知れません。人は言語によって考えるので、語彙の多い日本語は、何かの音を何か意味のある事柄に寄せることが可能なので、このように虫の声でも何かしらの意味を見いだせるのかも知れません。

「秋の野に 道も迷(まど)ひぬ 松虫の 声する方(かた)に 宿やからまし」(古今集・秋歌上・読み人知らず)~秋の野で遊んでいたら道に迷ってしまい日も暮れてしまった。どこかで私を待っている松虫の声がするが、そちらに行って宿を借りようか~

平安らしい、情緒あると云うか、源氏や伊勢的な遊び人と云うか、まぁそんな歌ですが、中々いい歌です。秋はやはり音から来る。猛暑が続きますが、もう秋ですね。