昨日は新月でした。月の明かりがない中で、火星に限らず、満天の星が輝いていました。日本の古い歌には星を詠んだものが多くありません。2002年10月8日に書いた「星」というつぶやきでは、「・・・古今集を読むと、驚くほど星を詠んだ歌がないのに気付きます。私が調べた限りでは三首だけあるのですが、・・・まぁ古今集の標準的な水準からいうと凡庸な歌ばかりです。未知と無知は違います。当時はまだ地球が丸いことも知られていなかった時代、星も現世を彩るために天空にちりばめられた飾りのようにしか思われていなかったのでしょう。未知なものには興味が沸きますが、無知は興味も起こさせないということでしょうか。」
と書いています。しかしその凡庸と思った269番の藤原敏行の歌を読み返してみました。

久方の 雲の上にて 見る菊は 天つ星とぞ あやまたれける

これは、宮中(殿上)に特別に呼ばれた作者が菊を見て、空の星かと見間違えるほど美しかった、と天皇におべっかをこいている歌であると、2002年の私は思ったのですが、そうかも知れませんが、天皇が菊の紋を使うようになったのは後鳥羽天皇からのようなので、それは古今集が編まれた時代より後ですから、単純に当時は珍しかった菊を美しいと思い、それを空の星になぞらえたのかも知れません。ま、でもおべっかはあるでしょう。

いずれにしろこの歌からは、「天つ星」は特別に美しい存在であったことが計り知れます。いつの時代も、星は綺麗であったことでしょう。そしていつの時代も、星は全く同じように輝いていたことでしょう。しかしその星を見る時の心持ちが、敏行の場合は殿上に上がった興奮が、美しさを変えるのでしょう。いつまでも星を見て感動したいと思います。