63年前に廃止された、京成電鉄の寛永寺坂駅の駅舎などが、奇跡的にほぼそのままの形で残っていたとのこと。これは興味深いニュースです。京成にはかつて、東京国立博物館の脇の角に、博物館動物園駅があり、これは私も利用した記憶が残っています。その駅の恐らく隣の駅で、同じように造られた駅が、そのまま残っていたのでしょう。驚きではありますが、銀座線新橋駅の幻のホームも残っていたし、しかもこちら寛永寺坂駅よりも更に10年以上前に廃止になったようなので、東京の地下には意外と戦前や戦後直後の遺跡がそのまま残っているのかも知れません。

東京の土地は、最近の大規模再開発を除くと、大体通りの内側で再開発されます。建物は取り壊され、ビルが建つのですが、その周りの道は変わらない、というケースが多いです。江戸時代の古地図と見比べてみても、当時の道筋が残っている場所が多くあります。そういう"区画内だけで行われる再開発"が中心だったので、地下の施設は残ることも多かったのかも知れません。

我々の住んでいるこの東京の土地の下に、どういう街が広がっているのだろう?今の東京の地下にどのように地下鉄が巡っているかの立体模型を見たことがありますが、そのまるで人体透視図の動脈・静脈のような規模と複雑さには驚嘆しました。それに加えて、東京は昔から最先端の大都市ですから、今は使われていない地下都市もかなりあるのでしょう。恐いとも云えるし、ロマンとも云える。気になりますね。想像力を駆り立てることはいいことなので、新橋駅も博物館動物園駅もこの寛永寺坂駅も、公開してくれることを願いたいですね。