今日、うな重を食べました。うなぎは嫌いではありませんが、いやむしろ好きですが、そんなにしょっちゅう食べるものでもありません。うな重を食べるのは、年に二、三回でしょうか。しかし土用に入ると、必ず一回はうな重を食べます。或る知人が、うな重を持って年に一回の挨拶に来てくれるのです。そしてお互いに比較的悪態をつきながら、軽く近況を確認した上で、昔話に多くの時間を費やすのです。あまり生産的ではないのですが、恒例の年度行事になってしまいました。

驚くべきことは、毎年々々昔話を重ねているにも拘わらず、それでも尚、新しい、話してなかった昔話があることです。人の記憶とはどういう構造をしているのでしょう。もしかしたらお互いにその昔話をしたことを忘れているのかも知れません。しかし昔話をするよりも、昔話にできるような新しいエピソードを作ることの方が楽しくなくてはいけませんね。萩原朔太郎曰く、何かを詩的に書くのではなく、詩的な人生を書かざるを得ないのだと(注:当てにならない記憶だけから書いているので、朔太郎はこんなことを云ってなかったかも知れないし、或いは違う人が云ってたかも知れません)。

さはさりながら、美味しいうなぎをありがとう。昔話をもっと作れるように頑張ろうっと。