私は雨音を聞くと眠くなります。いや正確に云うと、雨の降っている朝は熟睡が出来ます。電車の中で頭を窓にぶつけながら寝ることが出来たり、駅前サウナの休憩室の雑音の中で熟睡が出来るように、静寂よりも、ホワイト・ノイズやピンク・ノイズがある方が、却って神経が落ち着くのでしょう。

五月は、古代に於いては大切な田植えの時期であり、田の神を迎えるために物忌みをしました。物忌みの代表的な例が男女の関係を慎むことであり、その所為かこの季節の和歌は、殆どが夜中に一人恋人を想う歌ばかりです。五月雨の音を聞き、悶々としたのでしょうか。当時は一日中静寂が基本で、雨音は心を乱したのでしょう。

現代はそれなりの雑音がしているのが基本で、完全な静寂は却って落ち着かない気がします。或いはこれは私の問題でしょうか。江戸時代の俳人、与謝蕪村は、「五月雨や大河を前に家二軒」と詠みました。これは古今集などの感傷的な捉え方とは違って、ビジュアルで豪快な広がりがあります。私は一般に古今集的世界が好きですが、不惑を超えた身がワビサビ的趣きを強くしていくのではつまらないので、もっと江戸時代のような活発で積極的な感覚を、覚醒していきたいと思います。