ライフ誌が廃刊になるそうです。とは云っても既に2回ほど一旦廃刊して形を変えているので、3度目の廃刊になります。今後は1000万枚の写真と云う厖大な資産を、インターネット上で閲覧できるようなサイトを作っていくそうです。

幼稚園生の頃から黒白フィルムの現像をダークバックに手を突っ込んで始めた私にとって、ライフは燦然と輝く存在でした。特に第二次大戦の頃の、ライフに載ったマグナム写真家の数々の名作を見て感動し、カラーより黒白、風景や芸術写真より記録写真を好むようになりました。

そんなライフが廃刊になり、その厖大な名作の数々が簡単に閲覧できるようになることは素晴らしいのですが、一方で「ライフに載せるため」の撮影活動、作品を作る挑戦が今後なくなるかと思うと、寂しい気がします。

「選ばれて雑誌に掲載されて、初めて大勢の人の目に触れる」と云うメディアから、YouTubeのように、「選ばれる必要もなく、いきなり勝手に世界中に発信できる」形にメディアが変化してきたのでしょう。それは同時に、審美眼は自分で持たなければいけないことを意味します。しかし審美眼は持って生まれた本能ではなく、いいものを見ることによって養われるものではないでしょうか。

移民と民主主義の国・アメリカでは、多数決による審美は相性がいいかも知れません。しかし必ずしも多数決が一番いい判断方法ではないと思います。今後インターネット上でどのような価値観の重み付け作業が行われていくようになっていくのか、当事者としての興味を持って、注視していきたいと思います。