承平4年、西暦934年の今日、紀貫之は土佐日記を書き始めました。4年間の土佐守の任期を終え、船に乗って京都に帰る55日間の出来事を綴った、日本初の日記文学と云われています。
日記と云えば、ブログの起源のようなものでしょうか。1072年後の今、シコシコと毎日つぶやきを書く私は、貫之から見ると「何であんな駄文を毎日書いているのだ?」と不思議がられる対象でしょう。貫之は古今集の撰者であり、多くの歌が古今集の中に含まれていますが、土佐日記の中にも彼の歌はあります。
「影みれば浪の底なる久方の空漕ぎ渡る我ぞわびしき」
(かげみれば なみのそこなる ひさかたの そらこぎわたる われぞわびしき)
海面に映る月の影を見て、海面を鏡のように見立てて海底と空を同一視し、その空を旅していく自分の身を侘びしく思う。そう云う歌でしょう。
しかしふと疑問に感じるのは、空を渡っていくことがどうして侘びしいのでしょうか。現代の感覚では、スペース・トリップで楽しそうです。
コペルニクスやガリレオ・ガリレイの登場は、土佐日記から約600年もしくは700年後のことです。貫之当時の空は、地上に付属した飾り物程度にしか捉えられていなかったのでしょうか。しかし、より多くのことを知った現代の方が、感動や美しさに恵まれているとは限りません。私はこれからも駄文を重ねて、恥の上塗りをしていくことでしょう。