本日、我が国戦後の重要な史実とも思われることが明らかにされました。真相は未だ不透明ですが、そのこととは切り離して、あくまでも一般論として、史実の事後公開について考えてみたいと思います。

歴史の中には、それが外交に関することや、極めて重要でハイレベルな問題であればあるほど、その真意や経緯が中々分からないことも多くあると思います。その時点に於いては真意を明らかにすべきでない、超法規的な決断が必要であった、裏取引とまでは云わないにしても公には(少なくとも当面は)明らかにすべきでないことがあったなど、様々な、複雑で、高度な問題が、有機的・流動的に絡み合っていることもあるでしょう。政治にはプロセスが重要ですが、人命を含んだ重大な問題を鑑みる時、結果は更に重要であると思われます。ですから極論すると、その瞬間だけで見ると筋が通らないようなアクションも、最も重大な政治の世界には、当然存在するのではないかと思われます。

しかしその事を、永遠に明らかにしないのは良くないと思います。「云えないことがある」のは仕方ない、或る意味で当然だとしても、社会・国際社会が歴史から学んで、より良い社会に変えていくためには、或る程度の期間を置いてから、その史実をつまびらかにすべきだと考えます。本人の名誉や、敢えて複雑な判断をした目的を守るために、20年、30年してからで構わないでしょう。

情報公開の考え方は、アメリカを筆頭に進んできてはいますが、もっともっと推し進めるべきではないでしょうか。歴史は評論ではなく、未来のための知恵にしていかなくてはならないからです。今朝の件については、今後の議論の行方を見守りたいと思います。