先日、小学2年生で退学になった話をつぶやいたところ好評でしたので、ワルノリして続編を。公立の小学校に転校した私は、最初のうちは静かにしていたのですが、徐々に騒がしくなっていきました。
「東に行こう」と云って近所の友達を連れてひたすら東に向かい、終いにみんなが泣き出すので仕方がないので西に向かって帰ってくる。(家の周りでは近所の大人が大勢出て私たちの名前を呼んで探していました)ナメクジに塩をかけるだけでなくて、バケツに水を張って入れてみる。(はち切れんばかりに膨れました)家にある色々な電化製品を分解してみる。(元に戻せたものもありますし、直らなかったものもあります)薬の瓶にクラッカーを詰めて爆弾を作ろうとする。(途中で爆発して、流石に泣きました)初夏の夜、冷たい雨が降ると、翌朝早くにバットを持って近くの林に行きクヌギの木を打つ。(かじかんだクワガタがぼとぼとと落ちてきました)線路に架かった人しか通れない細い鉄橋に友達と数人で行き、列車が来ると放○する。人の家の塀の上を歩く。ピンポンダッシュをする。(ふと気がつくと、一緒に遊んでいる友達の顔ぶれが次々に変わっていっていた気がします。交遊禁止令でも出ていたのでしょうか?)学校の外壁を屋上まで登る。(これはかなり得意で、ウケも良かったです)体育館の床下を探検する。(先生に一緒に捕まった友達に恨まれました)体育館の梁を渡る。(これは誰も真似しませんでした)
5年生の頃は殆ど立たされてばかりで、廊下に出されても窓をよじ登ってしまうので、終いに黒板の前に席を移され、それが却って邪魔になるので遂に席を没収され、教室の後ろのラワン材で出来たランドセルロッカーの上に座らされる。(その頃のテストは、ラワン材の凸凹に鉛筆が落ちてしまい、字がボコボコしてました)まぁそんな普通の(?)、ワンパクというかちゃらけた小僧でした。
5・6年生の時の担任の先生が、そんな私を容認してくれました。本当に、心の底から感謝しています。違う先生だったら、全く違う人間になっていたかも知れません。人の巡り合いは斯くも大切なものだとつくづく思います。
*編集者注:良い子のみなさんは決して真似しないで下さいね。