最近、北京の紫禁城(故宮)のすぐ近くで綺麗な月を見る機会がありました。日本で見る月も、アメリカで見る月も、更には紫禁城で見る月も、月に変わりがある筈がありませんが、やはりどこか違っていました。♪富士の高嶺に降る雪も〜、京都先斗町に降る雪も〜、雪に変りはないじゃなし〜、とけて流れりゃ皆同じ〜♪は有名なお座敷小唄の詞(作詞者不明)ですが、この詞も、”本来は同じ物質である雪もどこに降るかで風情も違う”という大前提を否定して、逆説的にその違いを強調しているようにも取ることができ、特に「雪に変わりがあるじゃなし」ではなく「雪に変わりはないじゃなし」と唄われていますから、真意は中々複雑です。まぁこのように色々な取り方ができるというのは、或る意味で詩(もしくは詞)の味わいの一つですから、どこまでも答えは分からないのでしょう。話が随分遠回りしましたが、兎に角、紫禁城近くの月には趣がありました。
「今人不見古時月 今月曾経照古人 古人今人若流水 共看明月皆如此 誰願当歌対酒時 月光長照金樽裏」(こんじんはみずいにしえのつき こんげつはかつてこじんをてらせり こじんこんじんりゅうすいのごとく ともにめいげつをみることみなかくのごとし ただねがわくはうたにあたりさけにたいするとき げっこうとこしえにきんのたるのうらをてらさんことを)
これは李白の有名な詩、把酒問月(酒を把りて月に問ふ)の最後の部分ですが、変化のない天体の光の中に、時空を超えた交わりを感じることは素晴らしいですね。