今年3月3日の<内心のイメージ>というつぶやきで、フランク・キャプラの映画「スミス都へ行く」の話を書きましたが、遂に心の封印を切って、この思い出の映画をDVDで観ました。幸いなことに、内心のイメージは崩れるどころか、まさに憶えていた通りの文脈で物語は展開され、初めて観た時の感動と思いは、更に強められることとなりました。自由と民主主義の大切さと、ドン・キホーテのように体制と対峙し怯まず闘うことの尊さをジェームズ・スチュアートが身体一杯に熱演します。凡そ30年ぶりに観たジェファーソン・スミスは、私にとってのヒーローであり、未だに私にとっての規範です。
しかしここで疑問に思うのですが、このような強い感動というか意思傾向は、映画を観て感動して形成されるのでしょうか、或いはそもそもそのような傾向があるところに映画を観て感動するのでしょうか。未だに1939年作の映画の理念の埒の中に居るというのも情けない話ですが、この映画に説かれた信念だけは、いつまでも大切にしていきたいと強く思っています。