睡魔に襲われることがあります。私の場合、これは静かな時にではなく、どちらかというと五月蝿い時です。つまらない話などを聞いていると、すぐに眠くなります。そんな時にふと周りを見回すと、同様に睡魔と闘っている人も居ますが、全く眠そうでない人も居ます。眠くない人は鍛錬の賜なのか、或いは話がつまらなくないのか、或いはつまらない話に慣れているのか、どうしてだろうと不思議に思うことがあります。
見たくないものは目を瞑れば見なくて済みますが、耳から入る音は禦ぎようがないので、替わりに眠ることによって防衛しているのでしょうか?しかし、静かな車両の中でのお喋り声などには却って神経が集中していってしまうので、そうも都合良く睡魔機能が作用しているとは思えません。やはり独特の波長などに弱いのでしょうか?国際線のジャンボ・ジェット機のパイロットになった大学の友人が居るのですが、昔聞いた時は、どうやって12時間の睡魔と闘うかが最大の課題であると言ってました。それはほぼ哲学の領域だと彼は言ってましたが、未だに哲学を実践しているでしょうか、それとも変化のないことにもう慣れたでしょうか。起きてるようで眠っているということはママあります。日本では長い間、お金は預金、或いは貯金として、その使われ方を気にしないまま眠ってきました。これはいいことだったのか、悪いことだったのか。加賀前田藩は、司馬遼太郎に言わせると江戸時代を通して、更には明治維新中も眠っていたと言います。それは前田藩にとっていいことだったのか、悪いことだったのか。睡魔の功用は、微妙かつ複雑ですね。