5月に政府が例のりそな処理をしてから、株価は本格的に上昇を始め、今日は遂にTOPIXも1000PTを回復しました。あの「りそな処理」の本質は何だったのか、ちょっと考えてみました。私なりの結論は、あれはミクロとマクロのギャップを埋めたのではないか、というものです。
日本の金融システム問題は、各個別行などのミクロの問題です。一方日本という国(マクロ)は敗戦しても借金をきちんと返したぐらいであり、その経済力の大きさ、外国ファイナンスの小ささ、などを考えると債務不履行のようなリスクは現実的には存在しません。しかし個別の銀行の海外取引先からすると、朝起きたら取引先の銀行が潰れていた、というリスクはあり得る訳で、これはミクロの問題です(この件については本年1月28日つぶやき「金融危機」参照)。
そしてこのミクロの問題に対するリスクプレミアムを足し上げると−これは例えば銀行株の売られ幅で観測出来ますが−、膨大な額になってしまっていた訳です。しかしミクロを全部足すとマクロであり、合成の誤謬のような状態が発生していました。100個まとめて買えば60万円なのに(単価6000円)、1個では1万円で100個バラバラに買うと100万円になってしまい、60万円より極端に割高である、そんな状態とよく似ています。
「りそな処理」は、このパラドックスをなくしてしまった。政府は2兆円の税金を使うことによって、銀行は決して潰さない、金融システムはマクロの問題として必ず安定させる、という強烈なメッセージを内外に出しました。そして納税者は、さほど暴れもせず、この決断を容認した訳です。この段階で、海外取引先、或いは海外投資家は、各行の破綻リスクを計算に入れる必要がなくなってしまったのです。そして株価は全般に上がっていった。
今考えると、とてもいい策だったと思います。そして恐らく全体で見た経済再生のためのコストは、比較論としてとても小さく済む可能性があると思います。日本の問題は、なべてこのミクロとマクロの問題が多いのではないでしょうか。世代間の問題も同様です。ミクロの問題を解いて、ミクロの総計をマクロの実力から割り引かれないようにすること。そのような政治が、今後も望まれるのではないでしょうか。