先日(土曜日)、仕事で大宮に行きました。その帰りにJR京浜東北線の吊革に掴まり、車窓の風景をずっと見ていました。中学・高校の6年間、私は毎日北浦和という駅から西日暮里まで通学していたのですが、まさにその区間の風景を眺めていました。
そして驚いたことに、窓の外の様子は20年以上も前と殆ど変わっていなかったのです。駅、ビル、住宅、工場、車操場、陸橋、鉄橋、・・・。見えるモノ殆ど全てが、昔と同じでした。思うに、日本は−特に首都圏は−第二次大戦時に焦土と化した為に、その後の復興、社会インフラの構築が、同じ時期に同じ質で大々的に行われたのではないでしょうか?その結果、通常の国であればあちらこちらで小規模・中規模に、しかし継続的に生まれる社会インフラ再建設需要が、日本に於いては、ドカーンと全国的に一斉に需要が発生し、その後、品質が高いことも相俟って、数十年間大きな需要が発生しない構造となっているのではないでしょうか?
都心に於いては多くのオフィスビルが新しく建設されていますが、社会インフラ的には東京オリンピック時から大きく変わってない気がします。大規模敗戦と復興時のインフラの品質の高さが織りなす、この極端な短期的需要の山と、長期的な低需要の谷。これも我が国の経済不振に関係する特殊事情でしょうか?
- 松本 大
- マネックスグループ株式会社 取締役会議長 兼 代表執行役会長、マネックス証券 ファウンダー
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ソロモン・ブラザーズ・アジア証券会社を経て、ゴールドマン・サックス証券会社に勤務。1994年、30歳で当時同社最年少ゼネラル・パートナー(共同経営者)に就任。1999年、ソニー株式会社との共同出資で株式会社マネックス(現マネックス証券株式会社)を設立。2004年にはマネックス・ビーンズ・ホールディングス株式会社(現マネックスグループ株式会社)を設立し、以来2023年6月までCEOを務め、現在代表執行役会長。株式会社東京証券取引所の社外取締役を2008年から2013年まで務めたほか、数社の上場企業の社外取締役を歴任。現在、米マスターカードの社外取締役、Human Rights Watchの国際理事会副会長、国際文化会館の評議員も務める。