昨日金沢に行きました。早朝羽田発の飛行機で飛び、夜の便で帰京しました。午前も午後も仕事で、びっちりのスケジュールでした。そんな強行軍でも金沢は何度でも行きたくなる町です。お酒がおいしい。魚もかにもおいしい。そして土地の人が温かい。母親の実家が近県の高岡であるせいだと思いますが、あの辺りの言葉は私には耳障りがいいのです。小さい頃高岡の家に遊びに来ていた私が、居間でごろごろしていると、近所のお米屋さんがズカズカ入って来て「気の毒な」と言ってトイレを借りて、また帰っていきました。私は仰天したのですが、「気の毒な」とは「あなたにとって気の毒である」という意味で、「すみません」ということです。電話で話している相手の所に行くことを「来る」とも言います。確かに英語でもNYにいる人間と話していて、これからNYに行く時には、アイム・カミング・トゥ・NYと言いますが、視点が話している相手側に移っている訳です。しかしこれは小さな子供に話す時に「僕はね」と言わずに「お父さんはね」と言うのと同じで、相手に対する親密感が強いからではないか、と昨日御一緒していた伊藤宏一さんが指摘されました。なるほど。雪が深く一緒に寄り添って暖を取っていたのでこのような言葉になったのでしょうか。