(まず初めに、雷の神格化についてですが、実際多くの例があると大勢の方からメールを頂きました。どうやら無知のため間違えたようです。失礼致しました。)
アメリカにおいて、小泉内閣による構造改革の蓋然性についてよく聞かれます。しかし私が一番気になるのは構造改革自体の蓋然性よりも、どのような目標で改革を行なうかです。銀行の不良債権問題を処理しても、何故不良債権が発生したかについて同時に考慮し対応しなければ、結局元の木阿弥になり兼ねません。特殊法人に対する予算の付け替えをしても、また将来になると既に必要のないセクターに予算が多く付き過ぎていることになり兼ねません。
経済は常にダイナミックに変化して行きますし、人の判断力には限界があります。ですから日本においても市場経済原理をきちんと導入して、様々なリソースの配分の問題をマーケットに委ねるような仕組みを作って行くことが重要だと私は思います。そのような目的意識が今の内閣には若干欠けているように私には思えてなりません。