東京の街の中心部は首都高速道路が幅をきかしています。どうしてこれだけ密に高速道路が重要な地域のビルの間を縫えたのでしょうか?よく見ると首都高速道路はその多くの部分がかつての水路の上を通っていて、未だにその下には川が流れていて多くの橋が残っています。かつて首都高速道路の計画を立てている時に、「一体どこに建設するのだ?」という質問に対して、東京都のある役人が「江戸時代からある水路の上に建てれば土地を収用する必要もないし簡単である」と提案した結果であるそうです。江戸は水路の巡る美しい街でしたが、こうしてその景観は一瞬の内に変わって行ったそうです。勿論私はかつての街並みを知りませんが、タクシーに乗っている時などに、昔のままに残っていれば良かったなと思うことがママありました。しかし最近思うのですが、逆にもし首都高速が水路の上に建設されていなければ、今頃東京の中心部の全ての水路は暗渠となり、橋もなくなり、かつての面影はどこにも探せなくなっていたかも知れません。ある原因が、思わぬ結果に到ることはよくあるものです。