栗の季語は秋ですが、今頃からその存在を主張し始めます。今日名古屋の大学で講演をしたのですが、そのキャンパスに栗の花穂(かすい)の匂いが漂っていました。東京では6月頃にならないとあの匂いは嗅ぎませんので、やはり東京と名古屋でもそれなりに緯度の違いの影響があるのでしょう。その匂いに促されるように辺りを見回すと、木々の緑もやはり東京よりも一歩進んだ若々しさがありました。梅雨、夏ももうすぐそこまで来ているのですね。以前にもつぶやいたことがありますが、新しい季節の到来やその予感にハッと気付かされるのは、やはりいつも香りか音であって、視覚ではありません。情報化時代でいろいろな情報や映像が氾濫しているために、相対的に視覚が刺激に対して鈍くなっているのでしょうか?それとも嗅覚・聴覚によって季節の訪れを知るのは古今・新古今からの日本の伝統なのでしょうか?そんなことをふと考えてみました。