東京に帰って参りました。ダボスを発つ朝に私の参加していたGLTという青年部会のような場所で、今後個別に討論して行くべき議題の検討が行われました。そこに居た100人位の中で日本人は私だけです。議論はやはりアメリカ人や、英語を母国語とする人達が大部分リードして行きます。そんな中で思い切って「コミュニケーション」の重要性を話してみました。全ての議案(ヘルスケアとか、環境問題とか、南北東西の融合とか)は重要であり、素晴らしいのですが、それらは全てコミュニケーションが在って始めて成り立つものであり、現状の議論の仕方は必ずしも適当でないかも知れない。自由な議論の場を提供するということと、公平な議論のためのプロトコールを確立するということの間には、大きな質的な隔たりがあります。そんなことを伝えようと試みました。東欧、アフリカ、アジアなどからの数人が頷いていました。「自分のことを理解させる」というのは、或る意味でもっとも基本的な人権ではないでしょうか?結局、多民族間での議論のプロトコールの確立を含めた、「多民族人権問題」が新たな議題に加えられました。或る意味では今までそのような議題がなかったというのも驚きですが、いろいろと微妙な問題を孕んでいるようです。