秋葉原は、アキハバラと読みますが、昔はアキバハラと言ったそうです。略してよくハバラと言いますが、これもかつてはアキバと言う方が主流だったようです。秋葉原の電気屋さんの古株の方と話すと必ずアキバと仰います。以前に何度か書いたことがありますが、私は秋葉原が本当に好きです。今日から週末までアキバックス(AKIBAX)というイベントが駅前で催されており、マネックスも出展しているのでお昼頃からずっと秋葉原におります。小学生の頃よく行ったラジオ・センターも覗いて見ましたが、相変わらずの感じです。この街はいつも本当に活気に溢れています。品揃えが豊富なこと、安いこと、商品に詳しいこと、そしてサービス精神に溢れていること。ビジネスの基本の展示場のようです。お店の名前を見ると「ナントカ無線」と言ったお店が圧倒的に多いです。これはかつて携帯電話もなかった時代には、無線というものが民間で利用される技術としてはもっとも新しいもの或いはどこかかっこいいものであり、そのような商品に対する需要、もしくは憧れが強かったので、お店の名前にも「無線」を付けたのでしょうか。勿論今では無線機は重要な商品ではないでしょう。私がどうして何度も何度も秋葉原を訪れるかを考えてみたのですが、それはいつも新しい発見があるという期待があるからではないでしょうか。かつては無線、オーディオ。そして今はコンピュータ本体や、周辺機器、ソフトウェア。この街は立ち止まることをしないで、常に前に前に進んでいます。もしかしたらこの街ほど今は使われなくなった製品を売ってきた街はないかも知れません。それでも人は来ます。新しいものを求めて。私はこの点に経済の本質の一部があるように思えます。消費がいかに重要であるか。そして新しいものの供給が、新しい需要を喚起し、また消費を引き起こす。新しい創造のための過渡的な産物に対する人々の驚くほどの許容度。陳腐化することを恐れないで、次々に新しい創造を繰り返すことの価値。私たちマネックスも、アキバを見習って、常に前に前に進んで行きたいと思います。
- 松本 大
- マネックスグループ株式会社 取締役会議長 兼 代表執行役会長、マネックス証券 ファウンダー
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ソロモン・ブラザーズ・アジア証券会社を経て、ゴールドマン・サックス証券会社に勤務。1994年、30歳で当時同社最年少ゼネラル・パートナー(共同経営者)に就任。1999年、ソニー株式会社との共同出資で株式会社マネックス(現マネックス証券株式会社)を設立。2004年にはマネックス・ビーンズ・ホールディングス株式会社(現マネックスグループ株式会社)を設立し、以来2023年6月までCEOを務め、現在代表執行役会長。株式会社東京証券取引所の社外取締役を2008年から2013年まで務めたほか、数社の上場企業の社外取締役を歴任。現在、米マスターカードの社外取締役、Human Rights Watchの国際理事会副会長、国際文化会館の評議員も務める。