自由と自律と自主性。

私が受けた家庭教育と学校教育は、突き詰めるとこれでした。そして、それが、大変恵まれた、最高に贅沢な環境だったのだと、昨日、ある会に参加して改めて痛感しました。

勉強も習い事も、親から「しなさい!」と言われたことはなかったように思います。言われていたのかもしれませんが、「する/しない」は自分の意思であり、強制的にさせられることはなかったです。また、「しなさい」には応えなくても、こちら側の「これが習いたい」には応えてくれる親でした。自分で選択して受験した高校は「試験監督のいない学校」でした。定期試験の際に、試験監督(先生)が教室にいないのです(今もそうなのかは知りません)。カンニングをするのも自由だが、それが自分の人生にとって本質的にどういう意味を持つのか自分で考えて行動しなさいということだったのでしょう。カンニングをして良い点数をとったところでその後の大学受験や人生がバラ色になるわけではない、と。

この、私が得ることができた自由と自律と自主性の背景には、子どもであっても基本的人権が尊重され、十分な選択肢が与えられているという前提がありました。しかし世界各地において、人間として当然に持つべき権利や自由が与えられていない地域が多くあり、あるいは、戦争などによってそれらの権利が脅かされ、選択肢がない状況に追いやられている人々がいます。恵まれているはずの日本においてもまだまだ課題があり、例えば、外国ルーツの子どもたちは、実は日本の義務教育の対象になっておらず、その多くが満足に就学できていないのだとか。昨日、人間の基本的人権について考える機会があり、様々な「現実」を知りました。

当社の企業理念には、「個人の自己実現を可能にし、その生涯バランスシートを最良化することを目指す」とあります。人権の尊重を事業活動の礎とし、人々がその生き方や成長を自由に選択できる社会の創造に貢献していけるよう、これからも努めてまいります。