バークシャーの株主総会は世界中のバフェットファンが集結する一大イベント
デンバー経由でオマハへ向かう満席のユナイテッド航空262便は定刻通り到着。オマハ空港のキオスクにはウォーレン・バフェット氏や、バークシャー・ハサウェイ(BRK.B)(以下、バークシャー)関係の書籍が並んでいるコーナーがあります。キオスクで地元の新聞紙を買おうとすると、店員の女性に「バークシャーの株主総会に来たの?」と聞かれ、「そうです」と答えると、「どこから来たの?」と質問されました。「日本から来ました」と言うと、「先ほどマレーシアからバークシャーの株主総会に来た訪問者がいたわよ」と言われ、最後に「Welcome to Omaha! Enjoy your stay!(ようこそオマハへ。オマハ滞在を楽しんで!)」と温かい言葉をかけてくれました。
後に聞いたバフェット氏の話によると、今回のバークシャーの株主総会には世界45ヶ国から株主が訪れているとのこと。米国メディアの推定では3万人を超えるバークシャーの株主が集まったそうです。
オハマ空港からダウンタウンのホテルまで私を乗せてくれたウーバーの運転手に、「最近の米国の景気はどう?」と尋ねると、彼は「物価が上がり過ぎて、生活がかなり苦しくなった。ガソリンの値段は1ガロンあたり2ドルだったのが5ドルまで上がり、卵の値段も高騰した」と言って、バイデン大統領を批判しました。
元々オマハがあるネブラスカ州は、共和党が地盤の州。「では、トランプ前大統領はどうですか?」と聞くと、彼は「トランプ前大統領も色々と問題がないわけではない。でも、経済政策についてはバイデン大統領よりずっとマシだった」と答えました。
このような会話を10分程度していると、あっという間にオマハのダウンタウンにあるホテルに到着しました。オマハの人口はおよそ50万人。そんな街にバフェット氏の話を聞くため世界中から人々が訪れるのです。通常の宿泊料金が一泊200ドル(約2万7,000円)もしないホテルが、この期間は600ドル(約8万1,000円)近くと、ほぼ3倍に跳ね上がることも少なくなく、会場の前に位置するホテルに至っては1,000ドル(約13万円)を超えるところまであります。
バフェット氏の自宅を見学に行くと、明らかに「バフェット詣で」にやって来たと思われる人々の姿が見られます。彼らの顔を見ると「どこから来たの?名前は?」と話しが弾み、まるで再会を懐かしむ仲間に会った気分になります。私が直接話しただけでも、米国の様々な州からはもちろん、韓国、香港、シンガポール、マレーシア、スリランカ、英国、ドイツ、スイスなど世界中からやって来たバークシャーの株主と出会いました。そんなやり取りはホテルのエレベーターに乗っていても同じで、この時期大きなスーツケースを持っている人の十中八九はバークシャーの株主総会のためにオマハを訪れている人でしょう。
3万人を超える熱狂のなか手にした幸運
バークシャーの株主総会の会場はオマハのダウンタウンにあるCHIヘルス・センター・オマハ。株主総会の前日、バークシャー傘下企業は会場内にブースを設け、サービスや製品のPRを行なっています。ディスカウントで購入できる商品もあるので、買い物をする投資家も多く見られます。1921年から続く米国人なら誰でも知っているシーズ・キャンディーズや、Tシャツの2大ブランドであるフルーツオブザルームなどには長蛇の列ができていました。
株主総会の当日、私は朝6時半に会場のアリーナに到着しましたが、既に長蛇の列ができていました。今年は昨年よりさらに列が長かったように思います。今年は世界的にコロナの規制が緩和され、人の移動が自由になったためでしょう。7時に開場されましたが、私が会場に入れたのは7時半を過ぎてからでした。既に1階2階席はほぼ満席となっており、取れたのは3階の席。
私は今回、株主総会に参加するにあたって、バフェット氏に直接質問したいと考えていました。バークシャーの株主総会では、株主がバフェット氏に直接質問することができます。ただ、質問できるのは抽選で選ばれた人のみ。私は自分の席の近くにある質問ブースを探しました。広い会場には全部で11のステーションがあり、私は近くにあったステーション6に向かいました。
今回バフェット氏は、事前に少なくとも60の質問を受けることを目標としていると発表されており、そのうち半分は会場にいる株主で、残りはオンラインでの質問を受けるとのことでした。そのため、会場から質問できるのは30名程度。ステーション6の担当者に、バフェット氏に質問したい旨を伝えると身分証明書の提示を求められました。私は席にパスポートを置いてきたことを思い出し、彼に「パスポートを取ってくる」と伝えて、パスポートを持って戻り、担当者に見せると抽選用のチケットを渡されました。
そして、ついに抽選結果の発表。担当者が箱の中からカードを引き、「19番!」と叫びました。バフェット氏に質問できるラッキーな人は誰だろう…と周囲を見わたしたところ、誰も手を上げません。まさか…と思い自分のチケットを見ると、「19番」と書かれているではありませんか。慌てて「私です!」と言うと、「おめでとう」と言われました。
バフェット氏に直接伝えたかったこと
質問ができる大体の時間を教えてもらい、十分な余裕を持って質問の機会を待ちました。スタッフに、「そろそろ時間です」と言われ、私は設置されていたマイクの前でスタンバイ。オンラインの質問に答えたバフェット氏は、「次、ステーション6」と指示を促すと、暗闇の会場の中、私に照明が当たりました。
私は名前を名乗り、「日本の宮崎から来ました」と挨拶しました。あえて東京ではなく宮崎と言ったのは、私の出身地である「宮崎」と言う地名を世界中の人々に紹介したかったからです。私が質問の前に、「バフェットさん、私は1991年にあなたが救ってくれたソロモンブラザーズの元社員です。そのことにお礼を言いたかったのです」と感謝の意を述べました。会場からは拍手が鳴り響きました。バフェット氏は私の言葉に対して「ありがとう」と述べました。30年前以上前の自身の尽力に対してお礼を言われたことが嬉しかったのだと思います。
当時私が勤務していたソロモンブラザーズのトレーダーが財務省証券の不正入札を行ったことで、同社は倒産寸前まで追い込まれました。バフェット氏は、当時ソロモンの筆頭株主であり、自らニューヨークへ出向き暫定会長に就任すると、これまでのマネジメントを解雇し、直近まで東京支店長であった英国人のデリック・モーン氏をCEOに任命しました。バフェット氏は、「あの時モーンがいたから問題が解決できた。あなたたち日本人が彼に教えてくれたことが役に立ったのだ」と言い、再度「ありがとう」と言われました。私はバフェット氏の謙虚さに感動しました。
そして、私は質問に入りました。「あなたは、『アメリカに逆らう賭けはしてはならぬ』と言い続けていましたが、今後米国が優位性を維持するために重要なポイントは何でしょうか?」と聞きました。それに対するバフェット氏の回答要旨は以下の通りです:
米国は若い国だが、これまでに多くの試練に直面してきた。46回の大統領選挙と南北戦争を経験し、南北の政治的・社会的・経済的な違いから起きた戦いは悲劇的であったものの、米国の形成に大きな影響を与えた。
米国は1790年に世界人口のわずか0.5%しか占めていないが、今や世界経済の25%を占める経済大国に成長した。米国の利点は、太平洋と大西洋に囲まれ、カナダやメキシコとの良好な隣国関係に恵まれていること。米国にもプラスとマイナスの両面があるが、それらを相殺することで住みやすい国になっている。
先週、私は歯の神経を抜いたが、局所麻酔薬のノボカインは(痛みも感じず)素晴らしいと感じた。そのような驚くべき発明がある一方、原子爆弾のような過ちもある。
「党派心」が「部族主義」へと移行し、意見の対立が暴動を引き起こすことも懸念されている。そのため、民主主義を洗練させる必要がある。
私は米国で生まれて良かったと思うし、今がこれまでの米国の歴史の中で最も良い時代と考えている。そんな米国でも、問題解決のために様々な解決策を模索する必要があり、魔法のような簡単な解決策はない。しかし、米国には驚くべきことを成し遂げる能力があり、予想つかないことが起きても私は驚かないだろう。
南北戦争時、リンカーン大統領でさえも将来に対して楽観的ではなかった。それは今の状況と同じだ。
この様なバフェット氏の米国に対する見方は、米国の将来に驚くべき成果を期待しながらも、株価の上昇などの短期的な視点ではなく、人生経験に基づいた洞察力を持つことにつながっていると思います。