米国企業、「S(社会)」関連の株主提案続出の背景

2022年、ESG投資の領域では「ビジネスと人権」や「人的資本」を中心に企業活動におけるESGの「S(社会)」に関連したテーマが広く話題となった。しかし、株主アクティビズムに限定すると、「S」分野における株主の活動は他の先進国と比べて日本では活発とは言い難い (ただし、原子力発電所の稼働の是非をめぐる株主提案は日本で数多く提出されている)。

筆者が代表を務めるProxy Watcher の調査では、2022年の株主総会シーズン(2021年7月〜2022年6月)に日経225企業に対して提出された株主提案のうち、ジェンダーや人権に関するものは東京電力(9501)や関西電力(9503)に対して1案ずつ提出された男女平等に関する議案のみであった。

一方、米国では上場企業と株主による「S」分野の対話は活発化している。米国社会では、2020年に起きたジョージ・フロイド氏の死をめぐる事件をきっかけに全米各地でBlack Lives Matter 運動が勢いを増したことや、トランプ前政権下で人種差別や性差別に対する世間の目が厳しくなったことがその背景にある。

米法律事務所のGibson Dunnが2022年7月に取りまとめた報告書によると、2021年-2022年の株主総会シーズン(2021年10月〜2022年6月)にラッセル3000企業 (米国企業の時価総額上位 3000社)に提出された「S」分野の株主提案の数は287と、前年同期比で20%増だったという。株主が企業に求めることの明快さから、株主提案が他の株主の共感を得ることで、実際に可決された事例も続出している。

その中で注目すべきは、日本人にとっても馴染み深い米国IT大手企業が、自社の提供するサービスの規模や社会的責任の大きさから、株主との厳しい対話が強いられていることだろう。直近5年間でGAFAM (アルファベット(旧グーグル)、アップル、メタ・プラットフォームズ(旧フェイスブック)、アマゾン・ドットコム、マイクロソフト)の5社全てが反差別や多様性など、人権に関連した株主提案に直面している。

アップルの株主総会、2つの「S(社会)」議案が賛成多数を獲得

そういった状況の中、2022年に世間の注目を集めたのはアップル(AAPL)の株主総会だった。

女性の社会的地位向上や人種間格差の是正を掲げ、株主としてアップルやテスラ(TSLA)などに働きかけを行う米インパクトファンドのNia Impact Capital でCEO兼CIOを務めるクリスティン・ハル氏は次のように述べている。

私たちはアップルを米国企業のリーダーとして見ています。故スティーブ・ジョブズ氏やティム・クック氏は尊敬される人々です。だから、従業員の権利や待遇、企業文化についてもリードしていく必要があるのです。

Niaは2022年3月初旬に行われたアップルの株主総会に向けて、同社の秘密保持・隠蔽条項(Concealment Clauses)を問題視し、同条項による潜在的リスクを評価する報告書を作成し、公開することを求める株主提案を提出した。

「秘密保持・隠蔽条項」は、一般的に企業の知的財産の保護などを目的に、従業員と企業で結ばれる秘密保持を規定したものだ。アップルのように技術力に強みを持つ企業が情報を厳重に保護することは自然なことである。しかし「秘密保持・隠蔽条項は従業員が職場で被ったあらゆる差別やハラスメントが口止めされることにも利用されてきた」(ハル氏)との指摘もある。

実際に米国ではアップル 以外の企業でも類似事例が頻出したことで、バイデン大統領は2022年2月に雇用主が労働者に性的暴行や嫌がらせの苦情を会社の密室で解決するよう強制すること(強制仲裁)を事実上禁止する法案に署名している。

Nia がアップルに提出した株主提案は株主総会で50.04%の賛成比率を獲得し、賛成多数で可決された。アップルは2022年末、株主の要求通り報告書を開示し、同社の秘密保持・隠蔽条項が実質的に撤廃された。Niaはこれを受け、同社の対応を歓迎する声明を出している。

同社の株主総会で、もう1つ株主からの賛成多数を獲得した株主提案がある。複数の労働組合の年金基金の運用を行うSOCインベストメント・グループによって提出された公民権監査(Civil Rights Audit)に関する議案(賛成比率は53.6%)だ。アップルに小民権監査の実施とその結果をまとめた監査報告書の開示を求めたこの議案には、米国の資産運用会社大手の BlackRockやCalvert Research and Managementなども賛成した。

「公民権監査」とは、企業が人種差別を引き起こしたり、永続させたりしていないかを第三者が調査することで、企業社会における差別的慣習を根絶することを目的としている。過去の監査内容の事例には、ソーシャルメディアを運営する企業のアルゴリズムが有色人種に対する偏見を助長していないかどうかの調査や、人種マイノリティが多くの割合を占める時給ベースで働く従業員の処遇についての調査がある。

これまでエアビーアンドビー (ABNB)やメタ・プラットフォームズ(META)の2社における公民権監査を主導し、公民権監査の草分け役として知られるローラ・W・マーフィー氏は「株主からの圧力がきっかけとなる場合もあるものの、企業の経営陣は基本的に公民権監査を受け入れるべきだ。CEOや経営陣などの協力なしではできないものだからだ」とその重要性を強調している。同氏は公民権監査には企業が抱える不安が何かを見極めるためステークホルダーとの対話や、不満を抱えた従業員との話し合いも含まれるべきだとしている。

アップルに対するこれらの働きかけには従業員グループも関与しているとされている。米国では労働者の処遇などを巡り、このようなグループや労働組合とファンド、弁護士が連携して企業と対話を行う事例は今後も続出すると見られている。

国連責任投資原則が新たなイニシアティブを発足、日本企業も対象に

ここで、日本が置かれている状況を見てみよう。昨今、日本の上場企業では人権デューデリジェンス(企業が自社の人権侵害のリスクを調査・把握し、適切な対策を策定・実施すること)の実施が目下の話題となっている。2022年10月19日付の日本経済新聞の記事によると、株主である機関投資家の8割が人権デューデリジェンスを重視していることが三井住友信託銀行の調査で明らかになったそうだ。ステークホルダーも企業の「S」の取り組みに本格的に関心を持ち始めたことが窺える。

2022年の12月には国連責任投資原則(PRI)のもとで投資家が人権および社会問題に関して行動するために協業するためのイニシアティブ「Advance」が立ち上げられたと発表された。発足時の参加機関投資家は220社、運用資産は30兆ドル。働きかけ行う対象企業は計40社となっており、日本製鉄(5401)もリストに入っている。

米国を拠点とする独立系ESGファンドで責任投資を担当する識者の1人は「株式を保有する日本企業には、人権を含めてESGに関する働きかけをする余地がある」と語る。また、投資家が働きやすさや社風などに関する従業員の口コミを集めたサービスで企業の抱える問題を推察し、企業と対話を行う事例もあるという。「S」の対話の波が日本企業に押し寄せる日も遠くないかもしれない。