2015年との3つの「違い」
日銀の黒田総裁は、2015年にかけて展開した米ドル高・円安局面において、125円で「円安けん制」と受け止められる発言を行い、結果的に円安の幕引き役を演じたことがあった。このため、金融市場では125円を「黒田ライン」、「黒田シーリング」などと呼んで、円安けん制の動きを警戒する見方もあるようだ。
ただ、今回の場合は、黒田総裁は125円でもとくに円安けん制に動くことはなく、結果として125円を超える米ドル高・円安も黙認する可能性が高いのではないか。そう考える理由は、2015年当時と最近では、「違い」がいくつもあるからだ。
2015年との違いその1
2015年6月の黒田総裁の「円安けん制」と受け止められた発言は、円の実質実効レートを引用した上で、「さらに円安に振れるということは、普通に考えればありそうにない」というものだった。当時の円の実質実効レートは、安値更新中(図表1参照)でこれを見ただけでは、「さらなる円安はない」と言われても、「なるほど」とはならないだろう。
そんな円の実質実効レートを5年MA(移動平均線)かい離率にしたのが図表2。このようにかい離率にすると、一定のレンジ内を上下動しており、2015年6月当時は、まさにレンジの下限まで下落していたので、「普通ならさらなる円安はない」ということになったのであろう。さて、そんな図表2で見ると、最近は2015年6月当時とはかなり状況が違う。要するに、最近は「さらなる円安はない」と言える状況ではなさそうなのだ。
2015年との違いその2
上述の円の実質実効レートの件は、黒田総裁の発言で円安が終わったというより、すでに円が「下がり過ぎ」の限界に達していたので、黒田発言をきっかけに円安が終わったという理解が正しいのではないか。それは、米ドル/円が結果的に125円で円安終了となったことについても、同じようなことが言えそうだ。
図表3は、米ドル/円の5年MAかい離率だが、これを見ると、2015年当時の米ドル/円は1990年以降では最も米ドル「上がり過ぎ」、円「下がり過ぎ」となっていたことがわかるだろう。記録的に「行き過ぎた米ドル高・円安」となっていたため、黒田総裁の「円安けん制」と受け止められる発言をきっかけに円安も終了したということではないか。
足元は、米ドル/円の5年MAかい離率も、2015年当時とはかなり違う。今回の場合は、米ドル「上がり過ぎ」、円「下がり過ぎ」がさらに拡大し、米ドル高・円安が広がる余地はありそうなので、そういった中で、為替相場が発言通りにならないリスクをおかしてまで、敢えて黒田総裁が円安けん制に動く可能性はやはり低いのではないか。
2015年との違いその3
2015年6月、125円まで達した米ドル高・円安は、そもそも黒田総裁による2度の大胆な金融緩和、「黒田バズーカ」によってリードされたとの理解が一般的だった。ところがこの頃になると、有力な海外メディアからは、「円安がアジア経済を疲弊させている」といった「円安弊害論」を展開するなど、円安への批判も出始めていた。黒田総裁が自ら円安の幕引きに動いた形となったのは、円安批判が自らの責任論に発展しかねない懸念があったという点も重要だったのではないか。
一方で最近にかけての米ドル高・円安は、基本的には米国のインフレ対策などを理由とした利上げの影響が大きいだろう。この点も、既に見てきた2015年との大きな「違い」ではないか。以上からすると、黒田総裁は2015年とは異なり、今回は125円を超えて米ドル高・円安が進む場合も、それを静観する可能性が高いのではないだろうか。