岸田政権で担当大臣が新設されるなど、重要な政策分野として浮上した経済安全保障。一方、その定義は曖昧で、メディアなどでの議論も錯綜している。そこで、現代の経済安全保障をどのように理解すべきか概観したい。
「競争力」と「強靭性」を追求する経済安全保障
経済と安全保障が密接に結びついているという考え方は新しいものではないが、近年、中国が経済規模や技術水準、軍事力などの様々な面で米国と競合する中、外交・安全保障における経済的要素の重要性が認識され、経済安全保障や地経学(geoeconomics)という概念が用いられるようになった。
また、経済制裁や貿易規制などの経済的手段を通じた影響力の行使はエコノミック・ステイトクラフト(economic statecraft)と呼ばれ、経済安全保障と表裏一体の関係にある。
経済安全保障は、グローバルな相互依存関係がもたらすリスクを念頭に、「競争力」と「強靭性」を追求するものとして理解できよう。
前者は、経済力と技術的優位が安全保障を支えるという認識の下、産業政策などを通じて自国の競争力を向上させつつ、技術流出の防止などにより対抗勢力の競争力向上を阻止する。後者は、対抗勢力による干渉も念頭に、重要物資の安定的な確保、基盤産業の国内立地、基幹インフラの防護などを通じ、経済社会の脆弱性の解消を図る。
これらの政策は、国家が安全保障の観点からモノ・技術、資本、データの流れに介入し、市場メカニズムに基づく経済活動を変化させる。政策立案においては、安全保障上の便益と自国の経済活動にとってのコストのバランスを勘案することが重要になる。企業が直面するリスクは増大するが、業種によってはチャンスを見出すことも不可能ではないだろう。
政策の優先順位、新たなリスクへの対応、国際協調などの面で課題も
競争力や強靭性の追求に当たっては、限られた資源をどのように投入するかが問われるが、政府がグローバルな経済活動の実態や個別の業界・企業が抱えるリスクを包括的に把握し、優先順位を決定するのは容易ではない。ロビイングなどにより安全保障以外の思惑が政策に反映される可能性もある。
また、産業構造の変化や技術革新は、新たな安全保障上のリスクを生む。クリーンエネルギーの普及による重要鉱物の需給逼迫やIoTの普及によるセキュリティ脆弱性の増大などが考えられよう。
さらに、同盟国・友好国は経済面では競争相手にもなるため、国際協調をどう実現するかも課題だ。半導体産業における補助金競争やコロナ禍でのワクチン争奪戦などが典型だろう。自由で開かれた国際秩序と経済安全保障の関係をどう整理するかという根本的な問題もある。
最近では、米欧などで人権や民主主義といった価値の実現にエコノミック・ステイトクラフトを活用する動きが加速しており、経済安全保障をめぐる情勢は一層複雑化しつつある。
日本における「経済安全保障」論の意味
経済と安全保障の関係をめぐるリスクは世界的な課題だが、「経済安全保障(economic security)」が独立した政策分野として定着しているわけではなく、担当大臣まで設置した日本は例外的とも言える。
実際、これまで政府が発表した政策は、既存の様々な取組みの集合体という性格が強い。日本での「経済安全保障」論の盛り上がりが意味することとして以下が挙げられるだろう。
1.政府内の連携強化
外交・安全保障政策の司令塔である国家安全保障局に経済班が設置されるなど、経済安全保障を媒介として、経済政策と安全保障政策を連携させる体制が整備された。今後、戦略立案や国際連携の強化が期待される。
2.政策推進力の確保
経済安全保障というパッケージを政府の重要課題として位置付けることにより、予算や人員の確保が加速する。骨太方針や成長戦略を始め、様々な政策文書に経済安全保障が盛り込まれ、関連部署も次々と設置されている。一方、経済安全保障という看板の下で無関係な施策が推進されるおそれもある。
3.官民連携の促進
日本では安全保障を理由とする政府介入への抵抗感が根強いが、経済安全保障というディスコースの導入により、長年の懸案である学術機関などでの安全保障目的の研究開発や民間部門の防諜対策などに弾みがつく可能性がある。また、企業に経済安全保障の窓口が整備されつつあることも、政府の情報収集や政策実施を容易にするだろう。
コラム執筆:玉置 浩平/丸紅株式会社 丸紅経済研究所 アナリスト