◆「親ガチャ」という言葉が流行っている。こどもは親を選べない。どんな親のもとに生まれるか、すべては運次第。それをカプセルのおもちゃのくじ引きである「ガチャガチャ」(最近はゲーム内アイテムのルーレットも「ガチャ」という)に喩えた言葉だ。嫌な言葉だが真実だから流行るのだろう。これをもっと洗練された言葉で述べたのが、「白熱教室」で有名なマイケル・サンデル教授の新刊の邦題『実力も運のうち』(「実力も運のうち 能力主義は正義か?」早川書房)だ。

◆アメリカで成功を収めた人の多くは、自分自身が勤勉で努力したから成功したと思っている。しかし、そんなことは幻想だ。アメリカの名門大学に入学する学生の大半が裕福な家庭の子女だという事実がそれを裏付ける。裕福な家に生まれ育ったために良い教育を受けることができた。言ってみれば「親ガチャ」に当たったからエリートコースに乗れたのだ。

◆僕が教壇に立つ大学院の講義でこの話をしたら、ある女子学生がこう言った。「私と同年代で酷い境遇の人が大勢います。なのに私は親や恩師のおかげでこうして大学院に通うことができています。自分は何もしていないのに、運が良かったというだけでこんなに幸せな暮らしができることに罪悪感を感じてしまいます」。

◆おい、おい、ちょっと待ちなさい。今の自分があるのは、すべて自分の力だと思うのは間違いで、生まれ育った環境という「運」によるところが大きいのは確かだが、だからと言ってあなたが「何もしてこなかった」というのは違うでしょう。自分の努力をもっと認めてもいい。

◆結局、この世は「運」と「実力」で成り立っている。サンデル教授の言う通り「実力も運のうち」だが、一般には「運も実力のうち」だ。実力があるから運をつかめる。実力のあるものは用意周到、常に準備しているから巡ってきたチャンスを逃さない。逆に言えば「用意していない牡丹餅は棚から落ちてこない」のだ。「努力の量が、運の量を左右する」(サミュエル・ゴールドウィン)という言葉を信じたい。さて、投資の成果はどうだろう。市場分析に費やした努力の量に成果が結びつくだろうか。事実は別として、そう信じて今日も明日も頑張るしかないのである。事実は別として。