DeFiプロジェクトで史上最大規模のハッキング
ビットコインが3万ドルの底値から回復傾向にあった2021年8月半ば、「ポリネットワーク(PolyNetwork)」という分散型金融(以下、DeFi)プロジェクトで大規模なハッキング事件が発覚した。被害額は約6億ドル(660億円相当)。2018年に起きたコインチェック事件を上回る史上最大規模のハッキング事件に暗号資産業界に動揺が走った。
ポリネットワークは複数のブロックチェーンをまたいで暗号資産を取引することができるマルチチェーンプラットフォームである。ハッカーはプラットフォーム上の取引に関するバグを突いてイーサリアム、バイナンススマートチェーン、ポリゴンネットワークにある巨額の資産を盗み出した。スマートコントラクトというプログラム群によって様々な動作を管理するDeFiではコードの欠陥が障害点として狙われやすい。
この事件は被害額の大きさから市場に再び影を落とすかに思われたが、わずか数日で解決へと向かった。ポリネットワークは不正流出してすぐ、犯人の送金先アドレスを特定し、取引所をはじめとする暗号資産関連業者に協力を求めた。これを受けてステーブルコインを発行するテザー(Tether)は流出分のUSDTを凍結し、各業者は該当アドレスをブラックリスト化した。また、ブロックチェーンセキュリティ企業であるスロウミスト(Slowmist)は調査の中で犯人の身元を特定したと報告した。
結局、犯人はブロックチェーン上でポリネットワークと交渉を進め、流出資産の全額を返還するに至った。犯人は「楽しみのために攻撃した」とのコメントを残しており、この言葉の通り、元からお金に興味がなかったのかもしれない。しかし、ハッキング事件直後の業界ネットワークの素早い対応によって資産が守られたとも言えるだろう。この一連の騒動については自作自演ではないかという声もある。今後の調査によって犯人の逮捕に至るのか注目したい。
暗号資産のハッキング対策と課題
ポリネットワークの件を見ると、暗号資産のハッキング対策が過去と比べて大きく改善していることがわかる。攻撃を受けた業者のみならず、取引所やマイナー、ブロックチェーン企業などあらゆる業界プレイヤーが連携することで被害の拡大を防ごうとする動きが見られた。それによって犯人が盗んだ資産を取り出すことが難しい状況を作り出した。また、ブロックチェーン上のデータを分析する技術が進歩したことで事件に関連するアドレスを素早く特定することに成功した。これらの対策は国内の暗号資産取引所が相次いでハッキング被害に遭った2018年には考えられなかったものである。
その一方で新たな課題も浮き彫りになった。今回ハッキングの原因となったのはDeFiサービスにおけるバグである。DeFiのセキュリティの欠陥は年初来のハッキング事案を受けて各国当局でも少しずつ議論されているが、DeFiそのものの社会的な認知度がまだまだ低いために、そこでの対策が未だに整備されていない。ポリネットワークでは管理者的な存在が残っているため事件に対応することができたが、完全に分散化したDeFiサービスでは一体誰がトラブルに対応するのだろうか。自己責任という一言で片付けるにはリスクが大きい。
また、別の観点では、果たして日本の暗号資産取引所がハッキングされた場合に海外の業界プレイヤーとスムーズに連携を取れるのだろうかという疑問がある。暗号資産・ブロックチェーンはそれ自体がグローバルなものだが、日本は言語の壁もあって海外から孤立している印象を受けてしまう。今月8月の後半には海外でも事業を展開する国内の暗号資産取引所リキッド(Liquid)も100億円規模のハッキング被害に遭った。分別管理によって顧客資産は守られており、原因については外部の業者と協力して調査を進めているとのことだが、ポリネットワークと比較して対応が遅れている。
このように暗号資産のセキュリティは業界全体として着実に高まっているものの、DeFiという新しい金融市場が台頭してきたことによって、規制を含む、さらなるハッキング対策が求められている。また、国内外あるいは個別で見た時にはハッキング前後の対応に幾分かの差が生まれているのかもしれない。
ビットコインはハッキング事件後も上昇基調、今後の見通しは?
ビットコインは、ポリネットワークそしてリキッドのハッキング事件によって一時的に売りが強まる場面も見られたが、現在にかけても上昇基調となっている。ポリネットワークのハッキング事件がDeFiにひそむ新たな脅威として大々的に報じられれば、2018年のコインチェック事件の時のように、社会的な問題へと発展することはあり得ただろう。しかし、幸い事件は波風が立つことなく収束した。また、リキッドの件も日本やシンガポールなどのアジアをメインとする中堅取引所であったため現在の市場の中心である米国へのネガティブな影響は抑えられた。
ハッキング事件によってビットコインが価格を大きく下げなかった理由としては、これまで述べてきたように、業界としての対策が進んでいることが挙げられる。では事件後にも上昇しているのはなぜか。ビットコインは5月の暴落によって一時は下落トレンド入りが不安視されたが、今ではハッキングの売りを打ち消すほどにポジティブな動きが様々なところで起きている。以下で現状を整理したうえで今後の見通しを述べる。
金融市場
金融緩和の継続(→ 現状維持)
コロナ禍における各国の大規模な財政支出によって市場には歴史的な量のお金が流通している。無制限に刷られるお金の価値が下がる一方で、供給量が限られているあらゆる金融資産の価値が高まっている。ビットコインもその恩恵を受けて高値を維持している。今では米国におけるテーパリングの開始時期をめぐって様々な議論が行われており、金融政策の転換とともに市場から資金が引き上げられることになれば、リスク資産として見られるビットコインが真っ先に売られる可能性も考えられるだろう。しかし、経済指標や企業業績の改善などを根拠にテーパリングや利上げの早期化を求める声もあるが、当局は今のところ金融市場全体への影響を加味してその判断を慎重に行う方針である。
新興国における需要(↑ ポジティブ要因)
エルサルバドルがビットコインを法定通貨に採用したことが話題となった。このように、自国通貨が不安定な新興国ではビットコインに対する需要がはっきりと存在している。ハイパーインフレの状況にあるアルゼンチンやレバノン、クーデターが発生したミャンマー、タリバン復権によって情勢が不安定化しているアフガニスタンなどでは逃避資産の1つとしてビットコインが注目されている。そしてこれは新興国に限った話ではなく、経済危機などによって国や金融機関への信用が揺らぐ時にはビットコインの需要が高まることを示唆している。
暗号資産市場
企業や金融機関による暗号資産関連の動き(↑)
欧米を中心に大手企業や金融機関が暗号資産関連事業に参入しようとする動きが続いている。それとは逆に暗号資産関連企業が株式市場へ上場する動きや銀行ライセンスを取得する動きもある。このような相互の動きの中で暗号資産関連の金融商品やカストディ、決済サービスなどが充実すればさらに暗号資産投資家が増えることが期待される。今や暗号資産市場は金融市場の一部となっており、同様の動きはアジアなどにも広がっていくだろう。
規制動向(↓ ネガティブ要因)
各国において暗号資産関連業者に対する取り締まりが強化されるなか、短期的にネガティブな影響が相場に及んでいる。米国ではインフラ計画の一部として暗号資産関連事業者への課税を強化する方針が提案されており、税制面での懸念も残る。また、今後はステーブルコインやDeFi、ノンファンジブルトークン(以下、NFT)などに関する新たな規制の議論も行われるだろう。しかしながら、現状のところ中国のように暗号資産を全面的に禁止する国は少なく、中長期的に見れば規制環境の整備とともに事業者や投資家の参入が促されると思われる。
マイニング環境の改善(↑)
中国の規制強化によって一時はマイニング環境の悪化が危ぶまれていたが、撤退を迫られた中華系マイナーは北米や中央アジアなど別地域への移動を進めており、米国ではナスダック上場企業らがマイニング機器を大量購入する動きもある。また、テスラのビットコイン決済の停止をきっかけにマイニングの環境問題が厳しくなったが、再生可能エネルギーの利用をアピールする動きが増えるなかで和らぎつつある。このような中でマイニングのハッシュレート(計算リソース)は回復傾向にある。
DeFiやNFTの盛り上がり(↑)
最近ではDeFiを上回る勢いでNFT市場が拡大している。NFTに関連するトークンが数多く発行される中でビットコインのドミナンスも再び低下しつつある。また、DeFi市場が急拡大した時と同様に、イーサリアムからポリゴン(Polygon)やソラナ(Solana)といった新興のスケーラブルブロックチェーンにシフトする動きも見られる。これらは、目先では暗号資産市場の拡大に役立っているが、まだまだ投機的な面も強いため過熱後には急落を引き起こす恐れもあるだろう。目安としてビットコインのドミナンスが40%を大きく割り込むかに注目したい。
このように今ある材料を見てみるとビットコインが再び6万ドルの高値を目指すことも全く期待できない状況ではないだろう。金融市場では、米国におけるテーパリング時期が議論されながらも緩和ムードは継続しており、新興国の自国通貨への不安もあるなど暗号資産にとって好環境となっている。
また、暗号資産市場では、規制による短期的な下落やアルトコインバブル後の急落には引き続き警戒が必要だが、企業や金融機関、投資家の市場参入は長期にわたって世界的に進んでいくと思われ、マイニングについてもより分散的かつエコフレンドリーなものへと次第に発展していくだろう。
ではこのままビットコインが史上最高値を更新するのかと聞かれれば明確な材料に欠いている。金融市場の変化によって株式市場とともに売りが強まることもあれば、何かをきっかけに米国における暗号資産への関心が弱まることもあるかもしれない。しかし、マイニング環境が改善に向かうなかでテスラがビットコイン決済を再開するなどのビッグニュースが出れば、再び高騰する可能性もゼロではない。その場合には多くのアナリストらが予想する1ビットコイン=10万ドルという価格も現実のものに意識されるだろう。