土曜日、高校の同窓会は、飲んで、飲んで、飲み続け、話して、話して、話し続けるものでした。同窓会自体は午後4時スタートだったのですが、幹事連中は1時に駅の改札に集まり、適当に知らない店に入って飲み始め、結局そのまま同窓会、二次会、三次会と飲み続けました。同窓会には学年同窓の半分弱が集まり、ほぼ全員が二次会に行き、二次会から来る者もあり、やはりほとんどが三次会まで残り、ひたすら飲んで話し続けたのでした。更には幹事を中心に四次会に行き、結局私はほぼ12時間飲んで、いやそれ以上に、話し続けていました。

皆、約40年前からの友人です。外見は、変わる者あり、変わらない者あり。しかし変わらない者といえども、それはお互いに同時に歳を取っているので変わらないと錯覚するだけであり、私は人間相対性理論と呼んでいるのですが、外から「40年前と変わらないね」と云い合ってる者たちを見れば、どう見てもエラく歳を取った中年に見えるのであり、滑稽甚だしいものではあります。だからいずれにしろ外形は皆変わっているのですが、話すほどに、その中身が変わらないことに驚かされます。

基本的な性格が変わらない、話し方が変わらない、表情が変わらない、話すこと・考えていることの領域と方向性が全く変わらない。「形は変われども性格は変わらない」ことを強く再認識しました。もちろんここにも人間相対性理論は働いているのかも知れません。しかし、三つ子の魂百までとは良く云ったもので、やはり形以上に中身は変わらないものだと思いました。然しながらよくよく考えると、形は変わっても、中身を変えずに来られた者が集まったのかも知れません。
いや、違う。形は変わったし中身も変わったけど、芯にある変わらない中身を引っ張り出してさらけ出し、共有し、或いは思い出すことが出来る、そう云う仲間、空間、「場」なのでしょう。

そんな「場」は、本当に本当に大切にしなければいけないと強く思います。そして、土曜日に集まった者、来なかった者、そして自分自身のために、来ようと思えば来られるそんな「場」が、いつまでも存在することを切に願いたいと思います。