私はたまにベルトをし忘れます。今日も忘れました。これはなんとも気持ちが悪い。「ゆるふん」なる言葉がありますが、ベルトがないのは何と云うのでしょう。ノーベル?これでは山中教授に怒られそうです。混同を避けるためにノンベルとでも呼びましょうか。ノンベルでも出掛けられると云うのは、そもそも体型が一定の形を留めているからで、誰でもノンベルが可能な訳ではないのです。えっへん。
しかし考えてみるとこのベルトなる代物は意味不明のものです。極めて原始的な構造。なんで未だに存在するのか良く分からない。しかしこれがないと落ち着かない。これは刷り込みによるものでしょうか?それとも男は知らず知らずのうちにマゾ的感覚に慣れてしまい、締め付けられる、どこか違和感がないと逆に違和感を覚えるようになってしまったのでしょうか?
昔はベルトは様々なものを固定するために使われてきたように思われますが、現代の製品製造技術の中では不要の長物になり、飾りとして残ってきているように思われます。しかし男のズボンのベルトだけは、未だにこれがないと機能しない場合もあります。必要は発明の母であると云いますが、男は怠慢なのでしょう。或いはあの革製の無骨な構造の中に、男は未だに何かしらのノスタルジアを感じるのか。
あー、今日はノンベルのせいか考えがだらしなく彷徨っています。ベルト偉大なり。明日は忘れないようにしよう。