●3月29日、予定通りに英国がEUに対し離脱を通告。まずは、通知から48時間以内にEU大統領が示す交渉方針の素案と、4月29日に臨時で開かれる欧州首脳会議に注目
●EUは英国に600億ユーロとも言われる巨額の支払いを要求する見込み。各国との関税交渉も難航が予想されるなど、英国へのマイナスのニュースが続きそう
●税制の影響もあり、足元で英国の不動産価格が失速。これに企業の英国離脱の影響が拍車をかける。銀行の復調も遅れており、金融経済、英ポンドの下振れに注意が必要
3月29日、英国がEU委員会に離脱を通告した。予定通りの動きであり、英国市場に今のところ大きな動揺はない(英国株価指数、ポンドドルの動きは後掲図表7、図表8)。しかし、今後のプロセスには不透明な点が多い。今後の日程と影響を整理する。
I.今後の「離脱」と「新たな取り決め」の交渉スケジュール
交渉手続きには、英国のEUからの「離脱」に関するものと、今後の英国と各国との「新たな取り決め」に関わるものがあるが、このうち、「離脱」の条件交渉に関しては、2019年3月が最終期限となっている。加盟国が全会一致で期限の延長を承認しない限り延期は認められない。実質的な交渉期間は1年半とごく短い(図表1)。
仮に離脱交渉期限までに、新たな協定が締結できなければ、国際的な原則どおりの取り扱いとなる。例えば、EU域内の関税は現在の「ゼロ」から、通常の国際取引にかかる高い関税に一気に引き上げられることになる。
当面の注目は、近日中にEU大統領が示す交渉方針の素案と、4月29日に予定されている、英国の離脱に関する欧州首脳会議である。特に、以下に挙げる6つの論点の方向性が注目される。
いずれにしても、当分は英国にネガティブなニュースが続くと思われることから、英ポンドや英国の不動産価格、ひいてはそれらの資産価値の影響を直接受けやすい英国の金融機関に対しては慎重に見ざるを得ない。
II. 今後の交渉に関する6つの論点
1. 英国からEUに対する支払い額、支払い時期 英国は、さまざまな形で、EUの将来の費用を事前にコミットしている。例えば、EU職員の年金基金やEU予算の一部、契約済みのプロジェクトへの資金拠出などである。これらの合計は、600億ユーロ(7.2兆円)程度と試算されている。
一方英国政府の弁護士は、この支払いを強制する法的根拠も協定も存在しない、と反論している。また、仮に全額の支払い義務が生じたとしても、その支払い時期は明確ではない。しかし、離脱交渉期限の19年3月から早い段階での支払いが命じられた場合、ポンドからユーロへの巨額の資金移動が発生しかねない。
2. スコットランド独立の動き EU残留を望むスコットランドは、英国政府のEU離脱通告前日の28日、イギリスからの独立を問う2度目の住民投票を行うための法案を議会で可決した。スコットランドでは2014年9月にも国民投票を行ったが、このときは英国残留票が55.3%で離脱票の44.7%を上回った。
しかし、昨年6月のEU離脱を問う国民投票でEU残留派が多数を占めたスコットランドでは、英国政府に対する反発が高まっている。英国のメイ首相は「EUとの交渉中は、スコットランドに住民投票を認めない」と発言しているが、スコットランド自治政府のスタージョン首相は強硬姿勢を崩していない。
スコットランドで国民投票が行われた場合、英国からの独立・EU残留派が勝利する可能性は高いとみられる。スコットランドは、GDP、人口ともに英国の8%程度となっており、首都エディンバラは欧州最大の資産運用会社の拠点が集まる金融センターである。英国政府にとって、その独立の経済的打撃は大きい。
3. EU負担金の27カ国での再分配 現在、英国は、EU全体の負担金のうち、15.4%、年間180億ユーロ(グロス)を負担している(図表2)。英国が離脱した後は、この金額を残りのEU27カ27ヵ国で割り振ることになると思われる。現在の負担割合からの単純計算では、例えばドイツでは44億ユーロ、フランスでは34億ユーロ、イタリアでは26億ユーロ程度の負担増になる可能性がある。これらの負担金の増加で、各国で反EUの機運が高まる可能性があるだろう。
4. 企業の英国拠点移転と不動産価格 EU離脱の手続きが正式にスタートしたことで、金融機関を中心に拠点移動の動きが本格化するだろう。
英国の住宅価格は過去10年以上上昇が続いてきたが、足元では、急速に沈静化してきた(図表3)。これは、ロンドンで空室に対する課税が強化されつつあることで、海外の投機マネーが沈静化したことが一因である。2016年後半からは、この傾向にEU離脱の国民投票が拍車をかけた。
現在、住宅価格は横ばいとなっているが、今後、英国の正式の離脱通告提出を受け、企業の移転方針が決定すれば、更に実需の買いが減少するだろう。因みに、移転先候補としては、ダブリン(アイルランド)、フランクフルト(ドイツ)などが有力視されているが、いっそ欧州にハブは置かず、米国のグローバル拠点を強化するという動きもある。
5. 関税の水準 現在、EU域内の貿易に関税は設けられていない。これが、WTO加盟国の一般的な関税が適用されるようになった場合、一次産品を中心に最大40%超の関税がかかる可能性がある。
最大のリスクは、貿易やその他の関係について期限までに合意に至らなかった場合、全く協定のない第三国同士のとしての高い関税が課されるという「クリフ・エッジ(がけっぷち)」が発生する点である。
交渉は難航が予想されているが、とりわけ英国経済への懸念が大きい。英国の輸出の47%はEU向けだが、EU諸国からみた場合英国への輸出は貿易量全体の16%に過ぎない。交渉は英国の方がより切実であり、その分立場的にも弱い。
6. 金融センターの移動 英国を代表する産業のひとつが金融業である。GDPに占める比率は約7%と、G7諸国の中で最も高い。また、外国為替やデリバティブなど、さまざまな金融取引において圧倒的なシェアを有している(図表4、図表5)。
このため、現在日米を含む殆どの国際的な大手金融機関が英国に統括本部を置いている。英国で免許を取得すれば他国でも自由に金融取引が行えると言う「シングル・パスポート」の恩恵があるためで、これが失われれば、ロンドンに金融の拠点を集中させるメリットは大きく低下する。シングル・パスポートの取り扱いについては、今のところ英国もEUも発言が少なく、離脱後にこれが維持できる可能性は低いと思われる。
足元では、英国の金融機関の株価は回復基調にあるが、財務的にはまだ脆弱である。昨年11月末に発表されたストレステストでも、バークレイズ、RBS、スタンダードチャータードの大手3行が基準に達せず、このうち、RBSは新たな財務改善計画の提出を命じられた(図表6)。
特に昨年来は、英国の金融機関の財務力が注視されている。スタンダード・チャータード(クーポン6.409%)は、2017年1月の永久劣後債のコール(期前償還)を行わなかった。コール実施は銀行の裁量であるが、財務的に厳しくない限りコールするのが市場慣行である。今年9月には、RBSの永久劣後債(同7.64%)のコールが到来するが、状況次第ではコールされないリスクが懸念されている。
現在、欧州全体の株価の回復基調から、英国全体ならびに金融機関の株価は安定している(図表7)。しかし、景気が減速し、不動産価格が下落した場合、金融機関の財務に負荷がかかるのは必至である。どの時点で、どの程度の規模感で英国から企業が脱出するのか、これらの不動産価格への影響はどの程度になるのか等を注視したい。