浅間山が噴火したとのことですが、どうもあの山の噴火は穏やかな印象があります。今朝の中継を見ても荒々しさを感じませんでしたが、そもそも穏やかな印象は立原道造の詩が心に刻まれているからかも知れません。「ささやかな地異はそのかたみに 灰をふらしたこの村にひとしきり 灰はかなしい追憶のやうに音立てて 樹木の梢に家々の屋根に降りしきつた」−『はじめてのものに』という有名なソネットの一部ですが、ここで表されている浅間山の灰は、まるでひっそりと降りしきる雪のようです。一方で熊本は火の国、これは阿蘇山があるからでしょうが、長野や群馬はどうみても火の国という感じではありません。しかし阿蘇山と浅間山で、火山としてどれだけ違いがあるでしょうか?言葉によって一度植え付けられたイメージは強烈で、違う感じ方を中々許さないということでしょうか。