今の日本の礎(いしずえ)を作ったのはどの時代なのでしょう。言葉の文化はやはり古今和歌集が編まれた平安時代でしょう。万葉集よりも洗練された言葉遣いと、成熟した貴族文化が読みとれますが、新古今集(古今集から300年後、鎌倉初期)になるとちょっと技巧に走り過ぎている嫌いがありますし、詠まれている文化自体も3世紀の間にさして進んだようにも感じられません。日本風の建築などは室町時代。茶室を始めとした純和風の空間の造形と、障子を通した間接的な明るさなどは、古今集の時代から500年後に完成したことになります。世はそれから応仁の乱、戦国時代となり、天才アントレプレナー信長、スーパー・サラリーマン秀吉の出現の後、天下はポリティシャン家康のものになりました。徳川の子供を大量に産んで日本中に養子に出したり、嫁がせたり、参勤交代によって各大名の財政を計画的に苦しめて力を削いだり、大名の嫡男を江戸で育てさせて江戸風に感化したり、各地に隠密を派遣したり、譜代というインサイダーもどきを作って安定した官僚システムを作ったり、まぁ家康とその子孫が考え出した全国骨抜き競争力削減政治的カラクリにはまったく脱帽します。徳川の時代は300年近く続き、明治維新によって政体は変わったかのように見えますが、政治手法はなんら変わらなかったのではないでしょうか。第2次大戦における敗戦然り、政体の変更はあっても政治手法はあまり変わらない。インサイダーとアウトサイダーを作り、インサイダーが政治を掌握し、インサイダーの利権を守る為には国全体の競争力が落ちることも厭わない。日本の政治はこの400年間進歩がないのでしょうか。言葉や空間の美の完成度と同じレベルまでに、家康は政治システムを昇華してしまったのか。そして人はその体制に安定感と美しさを感じてしまって、誰に言われるまでもなく忠実にその形を守っている。ここは日本だから、そうはいかない云々。これは結局、大名の倅がまんまと江戸っ子になってしまったのと同じではないでしょうか。私たちには先代・先輩が作ってきた古い体制を新しいものに変えていく責任があります。マネックスも、今の自分たちに何が出来るのかと同時に、何をすべきかをしっかりと考えて、常に新しい価値の創造に挑戦していきたいと思っています。