時代劇を見ていると十字路がありません。武家屋敷町の風景はいつも路地の向こうには隣の屋敷の塀が見えています。町家の並び立つ一般の街並みでも、「じゃあな」と別れるのは十字路ではなく一本道が殆どですし、追っ手に追われて逃げている人が出会い頭で誰かにぶつかるのも十字路ではなくて細い路地から表通りに出るT字路です。これは戦国時代の城下町の造り方で、敵が一気に侵入してくるのを防ぐためだったようです。城下町の外も道は曲がりくねって狭かったのを物流経済を推進するために道幅を拡げなるべく真っ直ぐにしたのは信長だったようです。右翼の車などがデモをする時に、公安がよく交差点近くに装甲車などを駐車しているので渋滞が起きてイライラしたことがありますが、ある時ふとこれは一般車の渋滞を利用した自然のバリケードを作っているのだと気付きました。城下町の設計と同じ発想ですね。