ゴールデンウィーク、私は暦通りに休みをいただき、その間、ピアニストのヴァディム・ホロデンコさんの演奏(バルトークのピアノ協奏曲第3番をオーケストラとともに)を聴く機会がありました。丁寧でありながら芯のある音が積み重なり、気づけば音そのものが語りかけてくるような時間で、「音」から世界を想像させる力を感じました。 

私は小学校低学年から中学卒業までピアノを習っていました。音楽会などの学校イベントでは常に伴奏に選ばれていましたが、振り返ると「好きだから」というより、負けず嫌いが原動力だったように思います。ただ、小学生の頃、発表会で上手に弾けると家族や周囲が喜んでくれるのが嬉しくて、自分で曲を選び、一生懸命練習していた記憶もあります。音楽そのものというより、誰かの笑顔に動かされていたのかもしれません。 

そんな私でも、初めてグランドピアノを弾いたとき、音が空間に広がり、同じ曲がまったく違うものに感じられました。その体験は強く残り、「グランドピアノのある家に住むこと」が一つの夢になりました。その話をピアノの先生にすると、先生はご自宅のグランドピアノを教室に運んでくださり、週1回その音に触れられたことは、これ以上ない喜びでした。 

プロの演奏に触れると、「音で何かを表現する力」に圧倒されます。そこには、圧倒的な才能の差があり、そう簡単に届く世界ではありません。ただ、才能だけで辿り着ける場所でもないのだと思います。音楽に向き合い続けるパッション、そして何があっても続けたいと思える気持ち。突き詰めれば、最後に残るのはその熱量なのかもしれません。 

仕事でも、最初から純粋な「好き」だけで続けられる人は少ないのだと思います。誰かに喜んでもらうことや、続ける中で得られる手応えが、後から「好き」の輪郭をつくることもあります。 

今はもう楽譜を読むのもおぼつきません。社会人になってしばらくして実家に帰ったとき、私に何の相談もなくいつの間にかピアノが処分されていたのには思わず笑ってしまいました。現実は案外あっさりしています。それでも、いつかまたピアノに触れてみたい。あのときには分からなかった音が、今なら少し違って聴こえる気がします。音に触れたときの身体の感覚は、AIには代替できません。そういう時間の取り戻し方もあるのかもしれませんね。